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第15章 ドナウ川の旅人たち(1)

2007年9月18日(火)

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 2005年2月下旬――

 五井商事の金沢明彦は、財務部の若手と一緒に、ユジノサハリンスクの「ふる里」で夕食をとっていた。市内中心部、レーニン広場近くの日本料理店である。

 店内は、床に赤茶色の絨毯が敷かれ、木の枠が縦横に走るオフホワイトの壁に、浮世絵、凧、能面、宝船などが飾られている。テーブルと椅子は艶やかな黒い木製。パリにある日本料理店を髣髴させる内装だ。4人がけのテーブル席が15あるほか、奥に座敷がいくつかある。

 そばのテーブルで、野球帽にジーンズといったカジュアルな服装の日本人3人が、餃子や日本そばを食べていた。

 プリゴロドノエのサハリンBの建設現場で働いている日本人たちのようで、「キャンプの飯って、肉料理が多いんだよなあ」「俺、ブロッコリーが出てくるのが嫌なんだよね」などと話している。1人は先ほどから携帯電話でメールをしている。

 「……結構、厳しい内容ではありましたね」

 細長い黒のフレームの眼鏡をかけた財務部の若手が、熱燗の猪口を口に運ぶ。

 テーブルの上には、蟹フライ、ホタテのフライ、おひょうのホイル焼きなどが並べられていた。

 「厳しいけど、『最も慎重なアプローチを取るのであれば、操業を停止して、さらなる開発も中止すべき』なんて、誰でもいえるようなこと書いてるよなあ」

 縁なし眼鏡をかけた金沢の顔が、酒で赤らんでいた。

 「そんなの、あったり前ですよね。それができないから苦労してるんじゃないすか」

 音楽関係者のような風貌の財務部の若手が、憮然とした。

 「ただ、海底パイプラインのルートを変更して、コククジラの餌場を通らないようにするのが次善の策であると書いてくれたのは助かったよな」

 「我々が金出して委託した調査だから、気を遣(つか)ってくれたんですかね?」

 「どうなんだろ? ……そういうことはないような気がするなあ。基本的にやったのは、学者さんたちだから」

 金沢は首をかしげ、蟹フライを箸で口に運んだ。タラバらしい蟹の足の肉に衣を付けてフィンガー状に揚げたもので、1人前250ルーブル(約940円)。

 2人は、1週間ほど前の2月16日に発表されたIUCN(国際自然保護連合)の調査リポートのことを話していた。サハリンBプロジェクトのコククジラに与える影響に関して、5カ月余りをかけて調査したもので、英文で113ページあった。

 調査を行ったのは、IUCNによって組織された欧米やロシアの14人の科学者からなる専門家チーム。

 騒音、船の衝突、油の流出、プロジェクトがもたらす餌場の物理的変化といった項目について調べ、サハリンBが採り得る選択肢を提言していた。サハリン・リソーシズ社による情報提供が不足しているため、個々のリスクや選択肢に関する評価が十分できないケースがあるという記述もなされていた。

 「しかし、現状のままでも、クジラの頭数は増えない可能性があるし、通常よりも年に1頭多くメスが死ねば、絶滅する可能性もあるなんて書いてあったよなあ」

 金沢がいった。

 「結局、どっちに転んでもいずれは絶滅するんじゃないんですか。……だったら、これだけ大騒ぎする価値がほんとにあるんですかねえ? 100頭ぽっちの鯨が死のうが生きようが、人類の大勢には何の影響もないし」

 「経済的合理性の問題じゃないってことだろうなあ」

 「価値観の問題ってことですか」

 金沢が頷く。

 頭の中で、鯨だけでなく、様々な動物や昆虫の数が減っているよなあ、とぼんやり考えていた。子供の頃、秋になると軒先や物干し竿に無数にとまっていたトンボの数が激減している風景は悲しいものがある。石油・ガス開発に従事してはいるが、根は、北海道の大自然の中で育った人間である。

 「パイプラインのルートを変更すると、どれくらいのコスト増になりますかね?」

 相手の言葉が、金沢を現実に引き戻した。

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「第15章 ドナウ川の旅人たち(1)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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