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アルメニア:
商人と美人の狭間で

  • スティーブ・モリヤマ

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2007年11月22日(木)

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アルメニアの国旗

 日本マクドナルド創業者の故・藤田田氏は、こう言い残している。

 「商売が巧いとされる華僑3人が束になっても、1人のインド人には勝てるかどうか。そのインド人が3人束になっても、1人のアラブ人と同じぐらい。そのアラブ人が3人束になっても、1人のユダヤ人には敵わない。しかし、そのユダヤ人が3人束になってかかっても、1人のアルメニア人には敵わない」

 黒海とカスピ海のはざまに位置し、トルコ、アゼルバイジャン、イランというイスラム教諸国に囲まれた人類史上初のキリスト教国家アルメニアは、旧ソ連の中で最も小さな国だった。だが、紀元前から国際政治経済の場で、大国の思惑に翻弄され続けながらも、今日まで自国のアイデンティティーを失わずに、決して小さくない影響力を持ち続けてきた稀有な国とも言えよう。

 文化的には、欧州、アジア、アラブ、スラブの寄木細工のような国で、一言で表現するのは困難な国である。ソ連時代は 軍需産業で栄えたが、現在は輸出の3割はダイヤモンド加工で、筆者の住むベルギーやロシアとの結びつきも強い。

 アルメニアの歴史は古い。既に紀元前6世紀頃には、クロスボーダー商人の国として知られていたという。紀元前1世紀には、黒海から地中海までを支配するアルメニア人の統一国家「大アルメニア」を築き、繁栄を謳歌した。301年には世界で初めてキリスト教を国教としたが、その後は受難の歴史である。

 ペルシャ、アラブ、モンゴルなどに侵略・支配され、10世紀頃には、多くのアルメニア人がディアスポラ(離散の民)として祖国を後にした。17世紀にはオスマントルコとペルシャに分割統治され、19世紀になるとロシア領となった。

 1936年にソ連の一員としてアルメニア社会主義共和国となり、1991年にアルメニア共和国として独立した。常に他民族に蹂躙され、国境線は動かされ、祖国を追われ、そんな歴史の中で、アルメニア人は、したたかに生きる知恵を身につけたのだろう。

GM、ラッフルズホテル、チェス世界チャンピオン

 世界中で活躍しているアルメニア人の顔ぶれは多彩である。

 米ゼネラル・モーターズ(GM)や娯楽産業のMGMの大量株取引で有名なカーク・カーコリアン、ラッフルズホテルなどで有名なホテル王サーキース兄弟、作家のウィリアム・サローヤン、チェスの元世界チャンピオンのカスパロフ、テニスのアガシ、それからロッキード事件のコーチャンもアルメニア系である。また、スペインのバスク人ほどではないが、RHマイナスの血液型を持つ人が多い民族としても知られている。

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