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第18章 省益油田の挫折(4)

2008年3月3日(月)

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 9月の終わり――

 亀岡吾郎は、ミュンヘン空港にいた。

 真新しい空港ビルであった。白御影石の床はドイツ的な几帳面さで磨き上げられ、人や椅子をモノトーンで映し出している。煌びやかに照明された免税店のショーウィンドーには、ラコステのシャツ、モンブランの万年筆、フェラガモのネクタイやシューズ、フィリップスやソニーの電気製品、高級時計、スイス・アーミーナイフ、ビール用のマグカップや絵皿といったドイツ土産などが陳列されている。

 亀岡は、カフェのテーブルにすわって、ビールを飲んでいた。今しがた日本から到着し、テヘランに向うルフトハンザ602便の待ち合わせをしているところだった。

 飲んでいたのは「フリーガークエル(Friegerquell)」という赤いラベルの地ビール。

 酒には強くないが、乗り換えの空港で飲むドイツ・ビールを昔から楽しみにしている。

 (『イラン巨大油田開発、交渉手詰まり、安保理制裁なら撤退も』か……)

 亀岡は、つまみのソーセージを口に運びながら、日本の新聞記事に視線を落としていた。
 
 「イラン南西部の巨大油田の開発問題で、交渉期限が30日に迫ったが、日本はイランの核開発問題で身動きがとれない。業を煮やしたイランは、日本側に対して『早期着工できなければ、契約破棄も辞さない』と再三警告。交渉期限を8月22日、9月15日、9月30日と繰り返し設定し、開発着手を迫っている。

 しかし交渉期限は、あくまで駆け引きの材料で、すぐさま契約破棄には至らないとの見方も強い。これまでもイラン側は、9月15日までに着工しなければ、契約は無効になると主張したが、その後、交渉期限を再び延長した。一方で、コストの増額などを巡って、双方の立場の隔たりは大きく、交渉が難航しているのも事実。

 甘利明経済産業相は、そう長期の猶予があるわけではないと見る。できれば交渉を先延ばしして、核問題の沈静化を待ちたいところだが、油田の開発より核問題の解決を優先するのが政府の基本方針。国連安保理が対イラン経済制裁を決議すれば、開発断念を余儀なくされる可能性もある(政府関係者)」

 亀岡は記事に視線を釘付けにしたまま、ビールのグラスを口に運んだ。

 ホップがきいて香ばしく、フルーティーな味わい。ヨーロッパの乾燥した空気の中で飲むビールは、すっきりと際立っている。

 (おそらく、次の延長はあるまい……)

 イラン側はますます苛立ちを強めていた。経産省系石油開発会社のテヘラン事務所長からも、これ以上の延長はできない可能性が高いと報告がきていた。

 老商社マンは宙を仰いで、大きなため息を1つついた。

 3月に国連安保理でイランの核開発に関する議長声明が採択されて以来、巨大油田の開発が暗礁に乗り上げるのを何とか阻止すべく、奔走してきた疲れが出てきていた。

 亀岡は、再び視線を落とし、新聞のページをめくった。

 『参議院、竹中議員の辞職許可』

 という見出しが目に止(と)まる。

 「参院は、28日午前の本会議で、自民党の竹中平蔵参院議員(前総務相、比例代表)の議員辞職を全会一致で許可した。

 竹中氏は、『小泉内閣の総辞職で、自らの政治家としての役割は終わった』とし、扇参院議長に辞職願いを提出していた。辞職については、小泉改革の中核として、郵政民営化などを立案実行したとして、評価する声がある一方、与野党の一部議員からは、2004年7月の参院選比例区で獲得した72万票あまりの得票に対する責任の放棄だという批判がされている。

 竹中氏の辞職に伴う欠員の補充として、中央選挙管理委員会は、2004年の参院選の自民党比例代表候補で……」

 携帯が鳴った。

 亀岡は新聞から視線を上げ、書類鞄の中から電話を取り出した。

 周囲を一瞥したが、少し離れたテーブルで、ルフトハンザの客室乗務員の男2人と女1人が、コーラを飲みながら食事をしているだけだった。

 「専務、お疲れさまです」

 ファイト漲(みなぎ)る声。

 経産省系石油開発会社のテヘラン事務所長だった。

 「ご苦労。会長の様子はどうだ?」

 経産省系石油開発会社の会長が、この日、テヘラン入りし、明日からイラン側と交渉をすることになっている。

 「それが、先ほどまで夕食を一緒にとったのですが……」

 亀岡の愛弟子は、いい淀んだ。

「どうも弱気になっているようで、場合によっては、撤退もやむを得ないというようなことをいっています」

 「本当か!?」

 白髪をオールバックにした顔に、驚きが浮ぶ。

 「本社で、プロジェクトに反対する声が強くなっているようです。今は油価が上がって、引当金も十分積んでいるので、この際、損切ってしまえという声が、経営陣の中で強くなっている様子です」

 「何が政治リスクだ!」

 亀岡は憮然といった。

 「政治リスクがあるかといって止(や)めてたら、イランの商売なんか一切できやせん!」

 いいながら、4月に帝国ホテルの「インペリアルラウンジ・アクア」で会った、経産省系石油開発会社の副社長の顔を思い出した。下がり眉に老眼鏡をかけた気の弱そうな元役人は、案件に気乗り薄だった。

 「とにかく、会長には、ここは辛抱しろと伝えろ」

 「かしこまりました」

 「ブッシュが辞めれば、風向きも変わる。それまでの辛抱だ。あのプロジェクトは、イランと日本の架け橋だ。失敗したら、日本は、イランで2度と油田開発ができなくなるぞ」

 「おっしゃるとおりでございます」

 「俺からも会長に話そう」

 明日、鶴のような痩身の会長と朝食を共にする予定になっていた。

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「第18章 省益油田の挫折(4)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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