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第18章 省益油田の挫折(6)

2008年3月17日(月)

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翌日――

 亀岡は電動式の車椅子で、病院内の廊下をゆっくりと進んでいた。

パジャマの上から、茶色いガウンを着ていた。

 カテーテル治療をした翌日からは、心エコー(超音波)で心臓の機能を調べたり、合併症である不整脈の検査のために、心電図をとったりしていた。経過は順調で、洗面トイレ歩行や、100メートル歩行といったリハビリも始まっていた。

 聖バーソロミューズは、古い病院だった。

 国の公的医療制度であるNHS(National Health Service)の傘下にあるため、常に予算不足で、建物の内部は、1960年頃のような雰囲気が残っていた。

 院内は天井が高く、人々の行き交う足音が、こつこつと響く。壁には、青い看板に白い文字で、部署の名前がずらりと表示されている。売店では熊のぬいぐるみや新聞が売られ、花屋や教会もある。

 亀岡は、リノリウムの床材が張られた廊下を、車椅子で進んでいった。

 テヘランでの交渉の状況は、日に1度、英国トミタ通商経由で報告がきていた。

 イラン側は強硬だった。過去、3度も交渉期限を延長しているので、国内から「弱腰交渉」との批判があり、強い態度に出ざるをえない状況に追い込まれていた。日本側は、10月末まで交渉期限を延長して、イランの核問題に関する国際情勢の好転を待ちたいと申し入れたが、「これ以上の延長はない」と拒否された。

 日本側は、全体の75パーセントを保有している開発権を返上するか、一部をイラン側に譲渡せざるを得ない情勢だった。プロジェクト・コストは2500億円~3000億円なので、国際協力銀行の融資がつかない状況では、たとえ開発権を維持できても、資金の手当てができない。現在、経産省系石油開発会社のほうでは、いくらまでなら自己資金で開発費用を負担できるか、テヘランと東京本社の間で話し合いが続けられていた。

 同社の自己資本は約4500億円で、東京電力や日立製作所の5~6分の1といった規模なので、仮に500億円の負担でも荷が重い。

 (病気にならなければ、現地で交渉の手助けをできたんだが……)

 肉付きのよい顔に、忸怩たる思いが滲む。

 病院内の廊下を、医師、看護師、事務員、作業員、患者たちが行き交っていた。白人、スカーフで頭部をおおったアラブの女性、黒人、インド人夫婦など、肌の色は様々で、ロンドンが人種の坩堝であるのがよく分かる。

 病院は医学教育の場も兼ねており、古くて荘厳な雰囲気の図書館があり、書棚の間のテーブルで、学生たちが勉強していた。

 亀岡が乗った車椅子は、建物の出入り口のところまできた。

 目の前に、明るい秋の陽射しに包まれた中庭が広がっていた。

 地表の落ち葉が風で動いていた。暦はすでに10月だ。

 中庭の真ん中には、高さ3メートルほどの石造りの噴水がある。4人の裸の天使が支える大きな貝殻の上に、4頭のイルカが四方に付いた甕が載っている。それぞれのイルカの口から、水が盛んに流れ落ちていた。

 1859年の建築だという。

 周囲に、背の高いスズカケの木が植えられ、葉が黄色く色づき始めていた。

 「……すいません、マム(母さん)に会いにきたんですが、案内所はどこかにありますか?」

 急ぎ足でやってきた35歳くらいの英国人の男が、亀岡に訊いた。

 敷地内で迷った様子。

 「それなら、外来病棟のほうですわ。この建物の裏側です」

 亀岡は、自分の背後にある建物を指差した。

 「サンキュー」

 男は片手を挙げて、急ぎ足で歩いていった。

 亀岡は、日当たりのよい場所まで車椅子を進めた。

 デイパックを背負った医学生や、患者の家族らしい人々が、中庭を歩いている。白いワゴン車の救急車が1台停まっていた。

 (……上手く交渉してくれるといいが)

 イランの巨大油田のことが、頭から離れない。

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「第18章 省益油田の挫折(6)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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