ポルトガルの国旗
歴史的つながりからか、日本ではポルトガルのことを、ある種の親しみや懐かしさをもって受け止める人が多い。だが、中年以上の欧州人にポルトガルのことを聞くと、「比較的最近まで共産主義だった遠い国」という、必ずしもプラスとは言えないイメージで捉えている人が少なくない。
実際、ごく最近までこの国の行政はかなり非効率で、「外国投資家に優しくない」ことで有名だった。例えば、会社設立にしても、かつては数十もの書類提出を要請され、EU(欧州連合)の中で、手間と時間が一番かかる国という、ありがたからぬ「横顔」を持っていた。
しかし、数年前から政府はイメージの回復に真剣に取り組み、「シンプレックス」という簡素化手続きを導入した。この結果、各種届出は大幅に簡素化され、設立時間は1時間以内となり、費用も大幅に削られた。少しずつ、だが着実に、社会主義の亡霊から解き放たれているのだろう。
拡大、どん底のアリ地獄から抜け出した後は?
少し歴史を振り返ってみよう。ポルトガルは、15世紀中頃から17世紀中頃の大航海時代に、アフリカ回りのアジア航路を開拓し、植民地化したアフリカの金とアジアの香料で莫大な利益を上げた。さらにその後、アフリカからブラジルへの奴隷貿易でも大儲けをした。
ところが、19世紀後半から、共産主義の影響が色濃くなり、革命が起き、さらにその後、何十回にも及ぶクーデターやゼネストの嵐を経験した。その後、軍事独裁体制が確立され、混乱状況は収まったが、第2次大戦後も国際社会からは「ファシスト国家」と見なされ、国際連合の加盟さえ認められなかった。
しかも、1970年代半ばには、40年以上にわたる軍事独裁体制に終止符を打ったものの、共産主義と結びつき、企業は国有化され、農地改革も失敗し、政府累積債務は増大した。ちょうどその頃、アフリカの5つの植民地(アンゴラ、モザンビーク、カーボベルデ、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ)を失った。
その結果、100万人にも上るアフリカからの引き揚げ者や兵士たちを、十分な準備もできていないまま、受け入れざるを得なかった。また石油などの資源の安価な調達もできなくなった。この結果、街は失業者で溢れ返り、ますます混乱の様相を呈した。そして、欧州最貧国の道をひたすら突っ走っていったのである。
86年にEUの前身であるEC(欧州共同体)に加盟した頃から、潤沢な補助金と低い人件費を武器に、外資の誘致に成功し、再び、国が潤うことになった。こうして、ようやくアリ地獄から抜け出すことに成功した。
ただし、かつて低コスト製造拠点として外資の人気者だったこの国も、近年は、東欧や中国など、よりコスト競争力のある国々には、もはや勝ち目がないことを悟っている。だからこそ、生き残りをかけて、ニッチな分野における差別化を必死で模索しているのであろう。
波力発電の覇者となれるか
ポルトガルは自然エネルギー先進国である。風力発電では世界のトップ10入りしており、太陽光発電においても、現在世界最大級の発電所を建設中である。また、波力発電の分野でも、同じく代替エネルギーのフロントランナーであるスコットランドの企業等と共同で積極的に開発を進めている。
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EU(欧州連合)の首都ブリュッセル在住の作家兼外資系ビジネスマン。ロシアを含む欧州28か国で日系企業に進出・再編指南を行う。著書は訳書を含めると10冊を数え、近著に『







