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終章 クレムリンの攻撃犬(9)

2008年5月26日(月)

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 12月21日――

 モスクワは、銀世界になっていた。

 道や歩道で、泥で汚れた雪と氷がシャーベット状になり、毛皮の帽子、毛皮のコート、毛皮のブーツで完全武装した人々が、白い息を吐きながら歩いている。通りに溢れる車の群れは、日中だというのに、ヘッドライトを点している。

 灰色の空から、雪がいつ果てるともなく舞い降りていた。

 金沢は、スイス・ホテルのロビーで、英文の書類を読んでいた。

 ホテルは、五井商事のモスクワ事務所があるコスモダミンスカヤ通りと、モスクワ川にかかるボリショイ・クラスノホルムスキー橋(Ьол. Класнохолмский Мост)が交差する場所に建っている。29階建ての円筒形のビルで、上層階が白い光でライトアップされた独特のデザインだ。ロビーの天井は3階まで吹き抜けで、香港の仏教寺院の天井に下がっている線香に似た、円錐形・渦巻き型の照明が光を降り注いでいる。

 スーツ姿の金沢が、ロビーの一角にあるカフェで目を通していたのは、ガスプロムに対する株式譲渡契約書の草案(ドラフト)だった。サハリン・リソーシズ社のリーガル・アドバイザー(法律顧問)を務めている英系法律事務所が作成したものだ。

 ガスプロムの本社では、スポンサー3社の社長が、最後の交渉をしている。

 夕方には、3社の社長がプーチン大統領を訪問し、挨拶をする手はずになっている。

 先週、ロシア天然資源監督局が、オレグ・ミトボリ次長の活動内容を調査の上、戒告するよう、上級省である天然資源省に要請したという報道がされた。詳しい背景は分からないが、サハリンBの株式譲渡の合意に向け、ロシア側が政治的メッセージを送ってきたとも考えられた。

 環境保護団体は、相変わらず、声を大にしてプロジェクトに反対している。「サハリン環境ウォッチ」代表のディミトリー・リシツィンが来日し、関係省庁や国際協力銀行を訪問し、環境破壊の実態を訴えた。WWF、グリーンピース、アース・ウィンズといった環境団体は、融資を予定している金融機関や各国政府に、融資を取り止めるよう要請状を送り続けている。

 契約書の草案読みが一区切りついた。

 腕時計を見ると、午後3時過ぎだった。

 勘定を払い、立ち上がった。

 レセプションの裏側にあるエレベーターホールに向う。エレベーターは、銀色の箱で、1階から29階までの丸いボタンが、横5列に並んでいた。

 部屋は、床がフローリングで、木をふんだんに使った内装だった。

 壁や椅子、ベッドカバーなどは、薄茶と白で、落ち着いた清潔感が漂っている。テレビのスクリーンは、壁に嵌め込まれている。

 ベッドルームの先の半個室のようなスペースに、ライティングデスクが置かれていた。

 金沢は、デスクにすわって、パソコンでメールをチェックし始めた。

 ふと、デスクのそばの、床から天井までの大きなガラス戸に視線をやると、眼下に、雪に煙るモスクワの街が、パノラマのように展開していた。モスクワ川の黒い川面と、車のヘッドライトで光の帯になったボリショイ・クラスノホルムスキー橋がX字型に交差し、彼方の灰色の地平線上には、古色蒼然としたスターリン建築が、小さく見える。

 降りやむ気配のない雪を見ていると、ユジノサハリンスクの雪景色が思い出され、ヘリコプター事故で亡くなった、イーゴリ・ファルフトディノフ前サハリン州知事の面影が浮んだ。いつも精気に溢れた、がっしりした体形の男であった。趣味は、クロスカントリースキーで、冬には、市内のチェーホフ山(1045メートル)などを、黙々と駆け巡っていた。

 (サハリンBは、ファルフトディノフの夢だったな……)

 プロジェクトを実現して、サハリン州を独立国にしたいと話していた、ぎょろりとした目の四角い顔が、懐かしく思い出される。

 パソコンの横に置いた携帯電話が鳴った。

 「金沢です」

 「おー、俺だ。終わったよ」

 サハリン・プロジェクト部長のほっとした声が、耳に飛び込んで来た。

 「終わりましたか!?」

 「50パーセント・プラス1株に対して、74億5000万ドル、全額現金払いだ」

 ガスプロムが、スポンサー3社の資金負担コストを払うのに同意したということだ。

 オペレーターは、引き続きアングロ・ダッチ石油が務める。

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「終章 クレムリンの攻撃犬(9)」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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