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エピローグ(3) 【最終回】

2008年6月30日(月)

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 8月――

 寶龍村にまた夏がやって来た。

 土埃の中で陽炎が揺らめく村の道から、腰の高さほどの植物が左右から迫ってくるように生い茂った脇道をしばらく行ったところに、チェン・ジウリンの生家がある。

 1階の居間は、天井が高く、壁も床もコンクリートの倉庫のような空間だ。正面奥の壁に、人民服姿の毛沢東の写真が飾られ、木製のテーブルと椅子が置かれている。

 76歳になったチェンの父親は、昨日の新聞を広げていた。

 「据説日本的大地震是7月16日(日本の大地震は、7月16日だったそうだ)」

 父親は、半袖の肌着に黒いズボンをはき、裸足の足に黒い布の靴をはいていた。76歳になり、以前、軽い脳梗塞をやったため、話し方が緩慢である。

 「ちょうど、お命日ですね」

 奥の煤けた台所から、水色のサロンを着た初老の女が出てきた。2年前(2005年)の7月16日に、12年間近く寝たきりだったチェンの母親が他界し、後妻に入った女性である。痩せて肌が浅黒い、農民出身の女だった。

 ジウリンが最後に帰省したのは、母親の葬式の時だった。シンガポールの裁判所から特別に許可をもらい、地元の警察官に付き添われて帰って来た。今度帰って来られるのは、3年後だ。その時まで、父親は生きていられるかどうか分からない。

 「どれ、ちょっと、畑でも見てくるか」

 テーブルに手をついてゆっくりと立ち上がり、開け放たれた玄関のほうへ、覚束ない足取りで歩いて行った。家の前に猫の額のような畑があり、そこでカボチャなどを育てている。木々の梢では、蝉がしゃわしゃわと鳴き続けていた。

 同じ日――

 亀岡吾郎と十文字一は、イラク北部を飛行していた。ウィーンを午前10時20分に出発したオーストリア航空829便は、クルド人自治区の首都エルビル上空に差しかかったところだった。

 「荒々しい光景だねえ……」

 最前列の窓際にすわった十文字が、眼下の風景を見下ろす。

 人口99万人の都市は、茶褐色一色だった。中心部に地上より26メートル高い円形のシタデル(城塞)がある。シタデルを含め、一帯は茶褐色の不揃いな建物で埋め尽くされている。街全体が砂と埃をかぶり、強烈な太陽の光で灼かれていた。樹木は少ない。

 「石油がありそうな感じがしますな」

 亀岡がいうと、十文字はにんまりとし、長めの前髪を指でかきあげた。

 「まったく、韓国や中国に出遅れるなんて、日本政府は何をやってたんだろうな」

 クルド人自治区は一大油田地帯で、世界各国の石油会社が利権を求めて押し寄せている。しかし、日本政府や日本の石油開発会社は、イラク中央政府を支持するとして、クルド自治政府との直接交渉は控えている。

 「ところで亀岡さん、心臓のほうは大丈夫かい?」

 「おかげさまで。……いつもこのとおり、ニトロを持っておりますわ」

 スーツのポケットから茶色い小瓶を取り出した。中に小さな白い舌下剤が入っていた。

 「亀岡さんが心臓発作を起こすような、でかい開発契約を物にしたいねえ」

 十文字が不敵な表情でいった時、エアバスA310型機は、エルビル国際空港に向け、着陸態勢に入った。

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「黒木亮連載小説「エネルギー」」のバックナンバー

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「エピローグ(3) 【最終回】」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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