夏以降、大揺れに揺れた金融市場も、米国の感謝祭休日に前後して落ち着きを取り戻しつつあるように見える。そんな中、静かに、ロシア・ルーブル市場が揺れている。11月に入り、わずか3週間足らずの間に3回、それぞれ約1%のルーブル切り下げを余儀なくされているのだ。
年明け以降、世界経済は落ち着きを取り戻し、金融市場の信用逼迫が、実体経済に悪影響を及ぼすような状況は、徐々に解消に向かっていくものと見込んでいる。しかし、原油価格やユーロの対ドルレートの動向によっては、近い将来、ロシア発の新興市場通貨危機が勃発するリスクが「皆無」であるとは言えない。
崩れたルーブル高神話
ロシア中央銀行により、0.55ドル+0.45ユーロのバスケットに対する水準を厳格に誘導されてきたルーブルは、この8月、ロシア軍がグルジアに侵攻するまでは、対バスケットで、むしろ緩やかな上昇基調を維持してきた。しかし、グルジア侵攻を境に、様相は一変した。
下図の通り、対バスケットで下落に転じ、特に、並行して進んだユーロ/ドルの急落(ドル高)を反映し、対ドルでのルーブル安は大幅なものとなった。

従来、ロシア中銀は、ルーブルの切り上げに際しても「取引バンドの拡大」という表現を使っていた。しかし、この8月までのバンド拡大は、ご覧の通り、実質的にはルーブル高誘導で、グルジア侵攻以降も、従来のバンドが9月4日にルーブル安方向に拡大されるまでは、ルーブル切り下げを予想する向きは、市場参加者の間でも少数派であったに違いない。
それでも、グルジア侵攻の混乱冷めやらぬ9月頭のバンド拡大(=ルーブル切り下げ)まではともかく、そこで「ルーブル下限」と目された30.4水準は、ロシア中銀が「これ以上のルーブル安を絶対阻止する」水準と、広く市場から認識されていた。
ルーブル安誘導が想定しにくかった理由
その理由は、ロシア当局が、ロシア家計からのルーブル資産売りを、何よりも恐れていると考えられたからだ。1998年に通貨危機を経験したばかりのロシア国民は、通貨危機に「慣れて」いる。
ロシア国民は、株価急落に対してそもそも関心は低く、物価上昇に対しては打つ手も限られているとあきらめ気味だ。しかし、ルーブル安に対しては、すぐさま銀行に駆け込んでドルやユーロなどの外貨への転換を進めるだろう、と思っているようだ。
そうなれば、家計から生まれる膨大なルーブル売り圧力が一段のルーブル安を招き、そうして進むルーブル安が更に家計資産の国外流出を促すという悪循環に陥る危険性がある。ルーブルの下限を断固として守ることでルーブル先安感の蔓延を防ぎ、98年の二の舞いを未然に回避しようと、ロシア当局が考えるのは、至極当然のことと思われた。
また、そうした事態を回避するための「武器」を、ロシア当局が潤沢に保有している事実も、ルーブル切り下げを「考え難いこと」と思わせる要因だった。98年に発生したロシア危機当時、ロシアの保有した外貨準備高は78億ドルで、当時抱えていた外貨債務のわずか24分の1でしかなかった。
しかし、今年6月末の時点でロシアの保有した外貨準備高(準備ファンド、国民福祉ファンドを含む)は7562億ドルに上り、対外債務(5271億ドル)をすべて返済しても余りある規模だったのだ。
薄氷を踏むルーブル追加切り下げ
それにもかかわらずロシア中銀は11月に入りバスケットに対するルーブルの水準を、11日に1%弱、24日に1%弱、28日に1%弱と立て続けに切り下げた。11日から24日までに2週間近い時間が空いたのに対し、24日から28日の間にわずか4営業日しか経っていないのは、いかにも、「ルーブル売り圧力に押し切られた」ように見える。ロシア当局の「ルーブル防衛能力」に対する信頼が揺らぐのもやむを得ないだろう。
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1964年静岡県浜松市生まれ。1989年東京大学教育学部卒業。1989年、ミッドランド銀行(現HSBC銀行)東京支店入行。1992年フランス・インドスエズ銀行(現カリヨン銀行)東京支店入行。1996年同行ロンドン支店配属。2000年、日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)ロンドン支店入行。為替スポットディーラー、通貨オプションディーラー、セールスディーラーなど一貫して為替市場に従事、2003年から現職。

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