• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「恐慌」正面突破~危機の教訓1998

大野木克信氏[日本長期信用銀行元頭取]、なぜ改革が困難なのか

  • 日経ビジネス

バックナンバー

2008年12月9日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 日経ビジネスは2009年10月に創刊40周年を迎えます。この間、日本経済に深刻な影を落とす経済危機が繰り返し起きました。その都度、1929年「暗黒の木曜日」に端を発する世界恐慌の再来を恐れながらも、危機を乗り越えてきました。2008年秋、世界は同時株安と信用収縮に直面しています。創刊40周年カウントダウン企画として、過去の経済危機を伝えた記事を再録していきます。

第37回

2008年、世界的に銀行への公的資金注入が始まった。
日本の民間銀行で戦後初めて国有化された日本長期信用銀行(現新生銀行)。
環境の急激な悪化だけではすまない、銀行経営の問題点は何だったのか。
最後の頭取のリーダーシップを通じて検証した。

* * *

「仲良し経営」者、和を断ち切れず

1998年12月21日号より

1998年10月、実質的な経営破綻に陥った日本長期信用銀行。バブル期の際限のない融資拡張とバブル崩壊後の不良債権処理の先送りが原因だった。大野木元頭取はなぜ改革を断行できなかったのか。

(小栗 太)

 1998年10月23日、日本長期信用銀行は民間銀行として戦後初めて国有化され、46年の歴史に幕を閉じた。一時は30兆円を大きく上回る総資産を誇った巨大銀行も、金融市場の容赦ない退場勧告に、なす術すべもなく姿を消したのだった。

 その最後のかじ取りを担当したのが、95年4月に頭取に就いた大野木克信氏である。大野木元頭取について、ある長銀OBは、同行の実質的な経営破綻が避けられなくなった直後、こう述懐した。「大野木君はわずか1年の間に、長銀の光と影の両面を味わった頭取だ」と。

 大野木元頭取が味わった“光”とはスイス銀行(現UBS)と交わした株式の持ち合いや合弁会社の設立を柱とする広範な業務・資本提携だ。97年7月15日の発表記者会見の席上、大野木元頭取は満面に笑みを浮かべ、「親(銀行)同士が手をつなぎ、いい子供たち(合弁会社)を育てる。こうした新しい形で将来の可能性を追求していきたい」と発言した。

 大野木元頭取にとって、役割を終えた長信銀からの脱皮は、頭取就任以来の懸案だった。その年の4月、同じ長信銀の日本債券信用銀行が経営不安説を払拭するため、米国の大手銀行、バンカース・トラストとの提携を発表。「いったい、長銀はどうするのか」との声が高まっていた時だけに、市場業務などで収益を生み出す「投資銀行」への転身の糸口となるスイス銀との提携合意は、発表のタイミングから見ても、まさに“してやったり”の気持ちだったのだろう。

 しかし、その一方で大野木元頭取は大きなミスを積み重ねていた。長銀の“影”の部分から目をそらし、それを白日の下にさらすことを先送りしていたことだ。この結果、彼は長銀の歴史に幕を下ろす役割を演じることになる。

融資拡大路線を止める者なく

 長銀の“影”とは、2つの負の遺産だ。1つは、長銀本体の公表不良債権には決して表れない、関連会社が抱える多額の不良債権の存在、もう1つは、不良債権の一因ともなった「仲良しクラブ」的な内向きの経営体質である。

コメント0

「日経ビジネスが描いた日本経済の40年」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

全体の2~3割の人でも理解し、動き出してくれれば、会社は急速に変わります。

中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長