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国のために死ねるのか

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2009年4月25日(土)

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 義父勝五郎の一周忌も終わり、春めくと同時に平穏になった栄一と千代はようやく夫婦らしい生活を始めていた。

「千代、新五郎兄さんの所へ行ってくるだ」

 夕飯が終ると、いつものように栄一は尾高家に向かった。二階の座敷に勝手に上がると、すでに新五郎、喜作、平九郎、それに江戸から戻ったばかりの長七郎がいた。

尾高家
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 新五郎のことさら明るい声が返ってきた。

「いま長七郎から聞いたばかりだが、弥生の節句に江戸に深雪(みゆき)が降って、水戸藩士が登城中の直弼の首を刎ねたそうだ。結構、結構」
「え、大老の井伊直弼の・・・」
「左様、千葉周作の門弟で水戸藩の有村冶左衛門(ありむらじざえもん)以下の十六名が桜田門で見事に討ち果たしたそうだ」

 長七郎が重々しく答えた。さすがに千葉道場出身だと、栄一は自分が成し遂げたかのように興奮した。

「これで水戸のご老公もお喜びだろう。直弼は無断で亜米利加と条約を結びながら、それに反対した斉昭公を蟄居(ちっきょ)させるとは言語道断の沙汰であった。これで彦根藩もお家断絶か、結構、結構」
「新五郎兄、ことはそう簡単じゃねぇ」
「大老ともあろう者が無様な横死をとげたのじゃて、井伊家は間違いなく断絶だ」
「ところが安藤対馬守とかいう老中が切った首を胴体につながせて病死にしてしまっただ」
「なんと、幕府にも知恵者はいたか」

 栄一には尾高兄弟の会話はよくわからなかった。まして今後世の中がどうなるのか皆目見当がつかなかったが、長七郎のように江戸へ行って広く志士と交遊したいという志だけが強く残った。

 桜田門外の変により元号は万延元年から文久へと変わった。栄一は身体に残る寒さが薄れる頃、父市郎と向かい合った。

「畑が暇な時に江戸へ行ってくるだ」
「何しに行くだ」
「乃公も少しは本を読みたい。長七郎も大橋訥庵(とつあん)先生の所で講義を受けてるだ」
「栄一、今百姓の仕事を打ち捨てて、書物を読むためにこの中の家を粗末にしてはならない。百姓は百の仕事をしらないとできないものだ。江戸に行っている暇などないはずだ」
「お父さん、お願いだから三ヶ月だけだ。田植えまでには必ず帰ってくるから行かしてくれや」

 千代もいつしか横で聞いていた。いやだと言っても私を置いて江戸へ行く。夫が私以上に求めているものは何なのかを知りたかった。

 憑かれたように懇願する栄一を見て、市郎はついに根負けした。

 栄一は江戸に着くや宇都宮藩の儒者である大橋訥庵の講義を聴きに行くために日本橋の思誠塾(しせいじゅく)に走った。八畳二間の部屋にはすでに座りきれないほどの人がいたが、折りよく先に居た尾高長七郎が横の席に座れと合図してくれた。訥庵は弁舌さわやかに時事(とき)の問題を引き合いに出して幕府を痛罵(つうば)し始めた。

「老中安藤信正は開国主義の奸物なり。井伊直弼の桜田門での横死を病死と偽って井伊家の断絶を止めたばかりか、昨今は英国公使オールコックを私宅に招いて芸者を枕席(ちんせき)にはべらす馳走までしている。幕府は朝廷からの攘夷鎖港の勅諚(ちょくじょう)をいまだに遵奉せぬばかりか、皇妹和宮(こうまいかずのみや)様を徳川家に降嫁させんとす。このままでは神州日本国は洋夷(ようい)のために汚辱されるがままである。水戸の斉昭公が亡くなられた今、その御遺志を報じて攘夷尊皇の一日も早い旗揚げをして改革を計るを上策とすべし」

 訥庵の明快な話を聞いて栄一は心の中で喝采した。尊攘こそ間違いなく男子本懐の一生の仕事であると。

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