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喜作、我らは今幕臣ぞ

  • 茶屋 二郎

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2009年5月8日(金)

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 元治元年二月の冷たい比叡颪が長屋の破れ障子から吹き込んでくる。布団が急に引っ張られて栄一の半身が外へ出た。

「喜作、引っ張るな。乃公の布団がなくなるだんべえ」

 一枚の掛け布団を栄一と喜作が背中合わせになって取り合いをしていた。

 先立つ物がなくすでに借金は大枚二十五両を超していた。結局四石二人扶持、月俸四両一分の一橋家家臣とならざるを得なかった。また拝命した身分は奥口番という訳のわからない役であった。しかし召し抱えられたものの故郷から金を取り寄せることは死んでもしまいと、栄一と喜作は互いにこれからは大倹約をして無駄な金は一文も使わずに返済する固い申し合わせをしたのであった。

 翌朝喜作は竈(かまど)に火をおこして飯を炊いた。栄一は味噌を摺ってから菜入りの汁をつくることにした。

「喜作、この飯はなんだ。生米で食えたものではねえだ」
「そうか、栄一の菜っ葉汁も薄くて水のようだんべえ」
「味噌がないだのぉ、我慢しろ」

 栄一の箸には連なった沢庵切れが上がってきた。

 朝飯が終わってから奥口番の詰所の場所を訊くのを忘れていたことを二人とも思い出した。どこに行けば良いのか、とんとわからない。あちらこちら聞き歩いた末に御宿近くの蘆の生い茂る中に今にも崩れ落ちそうな藁葺きの小屋を見つけた。何とそこが二人の勤める詰所だった。中に入るとすっかり擦り切れた畳の上に耄碌(もうろく)した二人の老人が詰めていた。一目みただけで蚤と藪蚊以外は住めそうもないほどの不潔さだった。座る場所を選んで腰を下ろそうとするや否や、

「そこもとはお心得がござらぬか、そこに座ってはなりませぬ」
「はぁ、このたび同役になりました渋沢栄一と喜作でござる」

 わからないままに二人が適当に座ると、

「わからぬのか、畳の目がわしより上になっておる」
「これは大いに失礼しました」

 栄一には畳の縁(へり)がどこにあるかも分らない。こんな畳の目も分からないような詰所に一級と半級の身分差別があるとは馬鹿馬鹿しいの一言に尽きた。

 数日間、老耄(ろうもう)上役と顔を見合わせていたが誰も訪ねてくるものがいない。喜作は耐えられなくなり栄一を縁側に連れだした。

「栄一、一盤するべえ」

 懐から紙の将棋盤と駒を取り出した。喜作は将棋好きで素人にしては強かった。

「喜作、奉公中だ。仕舞え」

 栄一は喜作をたしなめたものの無聊(ぶりょう)を囲ったままであった。辟易していたところに御館まで来いという伝えがきた。両人は飛び上がって二度とここには戻らないつもりで駆け出した。

一橋家出仕時代着用の袴
(写真提供:渋沢史料館
画像のクリックで拡大表示

 呼んでくれた平岡円四郎の口もとを穴の開くほど見つめていると、

「本日よりそなたらを御用談所の下役とする。ついては薩摩藩の折田要蔵(おりたようぞう)という者が大阪におる。幕府が摂海の砲台築造を命じた者だ。しかしこの者の挙動が少々不審故、渋沢は弟子入りして調べてきて欲しい」

 隠密命令であった。御用談所とは一橋家の外交向きを取り扱う役所で、禁裏御所や堂上公家との交際や諸藩に対しての始末などをするのが主な仕事であった。

「委細畏まりました。つきましては少々月奉の前借りを御願いしたいのですが」
「案ずるな。路銀は使ってよい。しかし殺られるかもしれぬぞ」

 栄一は自然と武者震いを感じた。

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