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徳川でも島津でもない日本国を作る

  • 茶屋 二郎

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2009年5月16日(土)

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 三 渡仏

 その頃すでに栄一は仏国の郵便船アルヘー号の船上にあった。博覧会に向かう一行は徳川昭武以下、外国奉行向山隼人正、御守役の山高石見守等総勢二十八名の大所帯であった。品川を出発して伊豆七島、紀伊半島、土佐沖を通過して三日後にはアルヘー号は鹿児島湾が見える沖合を通過していた。海門岳の噴煙が煙霧の中に消えるにつれ、栄一は日本を遂に去るかと思うと万感の思いがこみ上げてきた。自分だけが違う道を歩み始めているのではないか、二度と千代にも家族にも会えないのではないか。船酔いの気持ち悪さが栄一の気をより重くした。

徳川昭武
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 しかしその思いはすぐに食事の鐘の音に消し去られた。船室の食堂にはすでに給仕(ボーイ)によって昼飯の支度がされていた。食台の上には銀の匙と包丁が置かれ見たこともない菓子、果物、乾肉、漬物、パン、紅茶等が並べ置かれている。二度目の鐘で日本人全員が席についた。船長のクレイとイギリス公使館通訳のシイボルトが親切に気を配ってくれるので慣れない食事と異人達にもこだわりがなくなってきていた。

 郵便船アルヘー号は上海、香港と横濱のみを往復する定期船だったので、正月二十日に英領香港に着いてからは同じ仏国の郵便船アンペラアトリス号に乗り換えた。今度の船はアルヘー号の二倍もある大型蒸気船ではるかに快適であった。栄一が支那滞在中に強く印象づけられたのは西洋人がまるで牛馬を駆使するのと同じように支那人を鞭でもって使役する姿であった。しかも支那人はこれを怪しむことなくむしろ当然の如く心得ていることである。日本では決してあってはならぬことと改めて攘夷の考えの正しさを栄一は感じていた。

 香港を出港してから仏領サイゴン、英領シンガポール、セイロン島、アデンを経て無事スエズに到着して一行は二ヶ月ぶりに船を下りた。スエズで汽車という乗物に初めて乗ることになり、パン、乾肉、果物、葡萄酒などを車中に持ち込んでアレキサンドリアに向かった。途中車窓からは砂漠に多数のテントが立ち並び、人夫がモッコで土を運んでいるのが散見できた。四、五年後にはここに運河が掘削されて紅海と地中海がつながり、蒸気船がそのまま通る予定と聞いて全員が驚いた。

 車中で昭武の髪結いの綱吉(つなきち)が外国人と大声で急に喧嘩を始めた。

「綱吉、止めろ。どうしたんだ」
「栄一、どうしたもこうしたもねえ。こちとらが大人しく蜜柑を食べているのに、この異人が取ろうとしやがる」

 通訳のシイボルトに外国人の言い分を聞くと、

「この男が蜜柑の皮を私の顔に跳ね返るように窓ガラスに投げつけてしらん顔をするから、止めさせようとしただけだと言ってます。栄一、この男に皮をガラスに投げるなと言ってください」

 確かに座席の下には蜜柑の皮が散乱していた。

「綱吉、窓を触ってみろ」
「まどー、あれ、こりゃなんだ」
「それはガラスというものだ」

 綱吉は目を丸くして驚いた。周りの外国人たちがガラスを知らなかった日本人を笑った。

 綱吉もつられて笑いながら、

「こりゃ悪かった。おいらは外へ捨ててるもんだと思ってた」

 一昼夜で汽車はエジプトのアレキサンドリアの駅舎に着いた。

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中村 克己 元ルノー副社長、前カルソニックカンセイ会長