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済まなかった。乃公が間違ってた

  • 茶屋 二郎

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2009年6月5日(金)

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 一ヶ月後の十月十日にサイゴンに到着した。しかし日本が近いと思ったそれからの南支那海で航海中最悪の暴風と遭遇することになる。波浪は甲板のいたる所を白く洗い、舳先のマストが折れてまる一昼夜たっても高波と強風で少しも進めない日が続いた。ようやっと十月十七日に香港に入港できると、その夜は揺れる恐れのないホテルの寝台ですぐに全員深い眠りについた。

 翌朝見たくない光景であったが往く時と同じようにイギリス人は香港をすでに自国領であるかのように横暴に振る舞っていた。その香港でようやっと日本の状況を知ることができた。幕府の旧臣による彰義隊の敗亡、そして反政府軍の中心であった会津城の陥落の話である。すべてが栄一にとって予想外の事態の進展であった。それに今なお榎本釜次郎が幕府海軍軍艦を率いて函館で戦闘中と聞いて、一族の安否が黒雲のように胸にわき上がった。

 香港から日本まではフワーズという小さな蒸気帆船にまた乗り換えなければならなかった。次の寄港地上海に到着すると同じ旅館にドイツ人のスネールという男と、その通弁である長野慶次郎が止宿していた。

「渋沢でないか、フランスから帰ってきたのか」

 会津藩士である長野とは京都で知り合っていた。

「会津城が落ちたと香港で聞いたが、誠か」
「なーに、まだ戦っている最中ぞ。兵器が足らんのでスネールに鉄砲を買ってもらっている」
「それではまだ幕府は戦っているのか」
「当然だ。渋沢、この際横濱などへ行かずに昭武殿をここから直ちに函館へお連れしろ。海軍の首領になって頂ければ幕兵の士気も上がる」

 しかし栄一はのこのこと函館などへ行ったためしには新政府のみならず主君慶喜公にも楯突くことになると感じて、

「それはもっての外の事であります。昭武殿を左様な危険の地にお連れすることは断然できませぬ」

 断固として拒絶した。昔より亡国の遺臣が集合して失地回復などが成功したためしがない。まして北海道で武備と食を整えてから烏合(うごう)の衆を以て、後に内地まで押し出すなどという軍略は到底勝ち味がないと思えた。

 上海を出航してから一週間後、寒気が一段と増した船中からは白雪に覆われた富士山の霊峰が見えてきた。栄一は涙が自然と頬を濡らすのを止めることができなかった。

 十二月三日の夕方、ついに本船は横濱港に入港した。岸壁には杉浦愛蔵や田辺太一らの懐かしい顔が見えた。水戸表より昭武様のお迎えの者も罷り出ていたが出発に比べて寂しい出迎えであった。新政府の検問を避けるために夜になってから栄一は小舟で一人対岸の神奈川に上陸した。その晩宿屋で夜通し日本の事情と渋沢一族の行方を杉浦に問い詰めた。

杉浦愛蔵(譲) 写真提供:渋沢史料館
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「渋沢、驚くなよ。御維新の世となりあまりにもすべてが変わった。まずそなたにフランス行を命じた御用人の原市之進殿は昨年の八月に水戸者に暗殺された」

 自分を一橋家の家臣にしてくれた平岡円四郎だけでなく、原市之進までが不在時に命を落としたことで二の句が継げなかった。

「そなたの従兄弟でもある渋沢喜作は奥祐筆になったが、慶喜公の水戸引退を機に彰義隊の頭取となり今は函館に行っているようだ」
「そうですか、息子の平九郎はどうしているかご存じですか」
「言いがたきことであるが、飯能の近くの黒山という所で官軍と戦い討死にしたそうだ」

 栄一は悲しみよりも先に日本にいられなかったことの深い慚愧(ざんき)の思いにとらわれた。なぜこのような時に国を空けてフランスなどで遊んでいたのか・・・自分が日本にいれば平九郎をこんな悲劇には遭わさずに済んだはずだと臍(ほぞ)を噬(か)んだ。

「義兄の尾高新五郎や長七郎は無事ですか」

 杉浦は一拍置いてから言葉を吐き出した。

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