(前編から読む)
竹森 ビッグスリーが非常に悪くなった理由は、年金や医療保険といったレガシーコストのせいと言われていますが、問題はそれだけなのでしょうか。それとも、経営コンセプト自体にやはり問題があったということでしょうか。
藤本 たしかにレガシーコストは、ビッグスリーが背負ってきたハンディですが、それだけではありません。乱暴な言い方をすると、アメリカメーカーは結局、最初から最後まで「トラックメーカー」だったことが問題の種でした。それは、すでにT型フォードから始まっているんです。このころから、アメリカの量産車は、フレーム状のシャシー(車台)にボディ(車体)を乗っけるモジュラー型寄りのトラック型アーキテクチャーでした。
竹森 トラックってやっぱりモジュラーなんですか。大きいから、出来合いの部品をばんばんはめていくだけでいいということなのでしょうか。
藤本 どちらかというとそうです。つまり車体と車台がある程度機能完結的に分かれていて、極端に言うと、シャシーにエンジンやタイヤなどをつければボディがなくても走れちゃうんです。

藤本 隆宏(ふじもと・たかひろ)
東京大学大学院経済学研究科教授、ものづくり経営研究センター長。1955年生まれ。東京大学経済学部卒業。三菱総合研究所を経て、ハーバード大学ビジネススクール博士課程修了(D.B.A.)。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)ファカルティフェロー、ハーバード大学ビジネススクール上級研究員。専攻は技術管理論、生産管理論、経営管理論。著書に『生産マネジメント入門』『日本のもの造り哲学』『能力構築競争-日本の自動車産業はなぜ強いのか』など多数。
走るという機能は全部シャシーの方に載っかっていて、安全もここで確保する。その上に車体をぽこっとかぶせる。要するに着せ替え人形みたいに上物は替えられるんです。もともとはボディは木でできていましたが、鉄になってもトラック型のボディはかなり単純です。
T型フォードも、シャシーそのものはものすごくインテグラルですが、ボディとのつながりはトラック型でした。それからゼネラル・モーターズ(GM)のアルフレッド・スローンの天才的な戦略といわれたフルライン政策やモデルチェンジ政策も、やっぱりトラックベースが前提でした。50年代から70年代、アメリカ・ビッグスリーの黄金期に出てきたキャデラックやシボレーも、一皮むけば全部トラック型でした。
トラックメーカーから脱し切れなかったことが敗因
その後、第2次オイルショックの後になると、アメリカ企業の小型乗用車は日本の擦り合わせ製品に対して劣勢となりましたが、その時、アメリカのメーカーは両面戦略を取りました。1つは、小型車を開発し生産する組織能力を蓄えようとした。この点は、トヨタ自動車から学ぼうとしました。これを徹底的にやっていれば良かったんですが、「俺たちはトラックが得意だから、やっぱりトラック型で勝負したい」とも一方で考えた。トラック系となると彼らは日本のメーカーよりはるかに商売がうまい。そこで、スポーツ車、ミニバン、ピックアップトラックと、トラック系の新しいマーケットを作ったのです。
つまり彼らお得意のトラック系、大型車という路線を衣替えして、もう1回新しい形で市場に導入したのです。そうしたら、アメリカの巨大マーケットの半分以上はトラック系に戻った。これはもう天才的というか、お手本となる素晴らしい戦略です。つまりマイケル・ポーターの「競争しない戦略」です。ただ、彼らは本社が上手に頭を使ったけれど、体(現場)を鍛えきれなかった。そのために、結局はインテグラル型の小型乗用車がうまく作れず、おかしくなったのです。
竹森 まずガソリン価格が上がったでしょう。あれが先制パンチですよね。
藤本 そうです。ただ、じつは1979年ごろにもまったく同じことが起こっています。第2次オイルショックのときにも石油価格が上がりました。もうでかい車はだめだ、これからはモノコック型、つまりインテグラル型の小型車でいく。でも小型を造る組織能力が足りない。そこで、とりあえずは貿易摩擦(1981年)で時間稼ぎをし、その間にトヨタ生産方式を学んで復活しよう。小型車でも最後は俺たちが勝とう、というのが当初のビッグスリーの考え方でした。
ところが彼らは本社の戦略にも長けていたので、トラック型製品をもう1回、裏口から米国市場に引っ張り戻してきた。これがうまくいき過ぎた。楽して儲かるならトラック型でいいじゃないかという気持ちになってしまった。トヨタに学んで体を鍛える方も最初は熱心にやっていたんです。工場なんかは、結構頑張ったんですよ。だけど中途半端に終わってしまった。
結局、アメリカの自動車会社は、「トラックメーカー」から脱し切れませんでした。その報いが30年後についにきた。21世紀の車というのは、社会的に厳しい制約条件の中で造るものです。ガソリンをがぶ飲みする、あるいは空気を汚す、事故を起こす、いわば「反社会的」な車ばかり造っていたら、いずれは持たなくなります。それは1979年にもう分かっていたはずなんです。ところが、とりあえずあまり競争しないでも勝てるものを、本社の頭が良すぎてうまく見つけてしまったものだから、長期の能力構築が徹底せず、結局、製品が社会と不適合を起こしてしまったのです。
内燃機関の小型車ではすでに戦意喪失
竹森 今、ビッグスリーはクリーンエナジーとか、電気自動車とか言って、起死回生を狙っているようですが、やっぱり心がそこにないから、省エネ車でそんなには強くならないでしょうね。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



1956年東京生まれ。慶応義塾大学経済学部教授。81年同大学経済学部卒業、86年同大学院経済学研究科修了。89年米国ロチェスター大学経済学博士号取得。主な著書に『







