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議院“官僚”内閣制は変えられるか

ジェラルド・カーティス氏と「政治という日本の弱点」を議論する(上)

  • 竹森 俊平

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2009年7月8日(水)

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 昨年来の鉱工業生産指数の落ち込みが主要国の中で最大の数字となったことは事実であるものの、今回の世界的な経済危機について日本は相対的には恵まれた状態にあると筆者は考えている。欧米と比べて金融機関の損失は小さく、今回は1990年代のように「不良債権問題」に散々悩まされる必要はなさそうだからだ。

 それゆえ、国内に貯蓄が潤沢にあるので、景気刺激策を実行するために発行する国債を消化するのにもさほど問題がない。それに何といっても、われわれには「失われた10年」で培ったノウハウや経験がふんだんにある。こういう時にはどうしたらよいのか、どのような経済政策を取ればよいのかが、それだから十分に分かるはずだ。政策の判断において今回はさほど迷いが生じないだろう。そのように筆者は考えていたのである。

政治的にはハンディキャップを背負う日本

 ところが、この最後の点について筆者の判断は誤りであったようである。何しろ、麻生太郎内閣の経済ポストのカギを握る大臣が、リーマン・ブラザーズの破綻後の2008年9月には「日本経済にとって蜂に刺された程度」と発言したと思うと、今年の春になって骨太の方針で「(日本経済の)産業構造、雇用構造を大きく転換する必要がある」と述べるような騒ぎだ。過去の日本の経験からしても、これが「蜂に刺された程度」で終わらないことは初めから明らかだっただろうに。

 もっと驚いたのは、ジェラルド・カーティス氏が英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙に今年の4月頃書かれた論説の伝える話である。民主党の代議士と話したところ、政権後にどういう景気対策を取るかというような議論を、党内で全くしていないと言うのである。何もしなくても、いずれ政権は転がってくる。下手に景気対策を言い立てると、党内が分裂したり、与党から攻撃されたりする。それで景気対策の議論が封殺されたのだろう。

 こういうことを見ると、今回の世界的経済危機で、日本は客観的にはましな状況にあるものの、政治の問題処理能力という点では、むしろハンディキャップを背負っているのだと感じざるを得ない。いくつもの政策的ミスを繰り返した結果、90年代にあれだけ長期にわたる景気低迷を招いたというのに、日本の政治家はなぜ、過去の失敗から学ばないのだろう。そういう疑問が浮かんだ。今回の対談シリーズの1回を割き、「政治という日本の弱点」について徹底的に議論する必要性を感じたのはこれが理由である(※編集部注:ジェラルド・カーティス氏との対談は3回に分けて掲載します)。議論の相手ということでは、やはりカーティス氏をおいてほかはないと考えたのである。

「日本では判りやすいことを言う人は尊敬されない」

 実際、今回の対談には多くの教訓があったのだが、とくに印象に残るカーティス氏の発言がある。「日本では分かりやすいことを言う人は尊敬されない」というのである。なんと鋭い観察だろう。それだけでなく、政治学者としてのカーティス氏の特徴もこの言葉に表れていると思う。もちろん、カーティス氏は日本でも「尊敬」されている。しかし、その発言はものすごく分かりやすい。彼の発言を、他の政治学者の発言と比べてご覧なさい。この点がはっきりするはずだ。

 分かりやすいけれども、カーティス氏の思考はまことに緻密で、目が詰まっている。今回の対談の中で、戦前の日本の政治システムについて触れた箇所がある。それについてカーティス氏は見事な分析をされた。筆者はこれだけ明快で、鋭い観察を聞いたことがない。自分の目で見たことのないものを、なぜ、これだけ先鋭に捉えられるのか。おそらく、氏の観察の背後には数多くの政治理論や歴史的な経験があるのだろう。

 だからといって、「これこれこういう政治理論では」という発言をされることは決してない。カーティス氏の言葉は、あくまでも市井の言葉なのである。「政治家は明るくなきゃいけない。小泉(純一郎元首相)さんはその点良かった」などといった、くだけて本質を突いた表現を、偉い大学の先生から聞けることがあるのだろうか。

 「日本のような偉大な国は、もっと立派な政治を期待する権利がある」という日本の政治に対する辛辣な評価は、カーティス氏の持論であるが、同時に今回の経済危機についてアメリカの置かれた政治状況は日本よりも厳しいという評価もされている。幅広い視点から、ひいきの引き倒しにならないバランスの良い議論がされるところが、氏の持ち味なのだ。

 というわけで、今回の話題は、日本の政治からアメリカの政治へと自由に飛躍する。何を隠そう、筆者もカーティス氏に負けず劣らず、バラク・オバマ大統領のファンなのだが、それでもアメリカの現政権の政策批判にも話は向かう。しょせん、人間が作り出すものである「政治」というものの仕組みの多面性、多様性が、今回の対談を通じていくらかでも浮き彫りにされたのではないだろうか。それでは読者にも妖しい魅力に満ちた「政治」の世界に浸っていただこう。

(写真:村田和聡、以下同)

ジェラルド・カーティス(Gerald L. Curtis)

コロンビア大学政治学教授。日本の政治研究の第一人者。1940年米ニューヨーク生まれ。62年米ニューメキシコ州立大学卒業、69年米コロンビア大学大学院政治学博士課程修了。76年から現職。早稲田大学客員教授。67年に博士論文の執筆のため来日、第31回衆院選挙で大分2区から出馬した自由民主党の佐藤文生(故人)候補に密着。この博士論文を基に、71年に『代議士の誕生』を出版した。三極委員会委員、米外交問題評議会委員、米日財団理事。大平正芳記念賞、中日新聞特別功労賞、国際交流基金賞を受賞、旭日重光章を受章。主な著書に『日本型政治の本質』『日本政治をどう見るか』『永田町政治の興亡』『政治と秋刀魚』など。今秋、絶版になっていた『代議士の誕生』が日経BPクラシックスの1冊として新訳で刊行される予定。


竹森 最近、ある雑誌で座談会をしまして、高橋是清や井上準之助が金本位制を巡って対立していた頃の政治と今と比べて今の政治はどうかという話をしました。その時、出席者の1人の塩川正十郎さんが、昔の政治家は偉くて、進んだ考えをはっきりと持っていたと言っておられました(「文藝春秋」7月号)。

 あの頃は民政党と政友会という2大政党が交互に政権を担当し、しかも両政党のオピニオンもすごくはっきりしていて、政策の方針にも明確な違いがあった。一種の理想的な2大政党制だったのではないかと思います。

 しかし、1920年代の日本経済パフォーマンスは最低です。コロンビア大学のヒュー・パトリックさんがそこのところを鋭く指摘されていますが、極端に言うと、当時、政友会はインフレ的政策、民政党はデフレ的政策を掲げていた。それを交互にやったので、経済がめちゃくちゃになったのではないかということです。

 戦後の日本政治には、戦前のようなエキサイティングなところは全然ありません。政党間の政策の対立軸というのも、55年体制にはありましたが、今は全くない。自民党政権がずっと続いているのが、政治から面白さを消した原因かもしれません。おそらく日本人は戦前の経験から2大政党制はこの国にあまり向かないと思ったのではないか。この点についてカーティスさんはどうお考えですか。

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