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オバマ「ブームとバスト」からの「チェンジ」

精神的な豊かさは達成されなかった20世紀

  • 立田 博司

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2009年11月17日(火)

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 先週末から米国バラク・オバマ大統領がアジアを歴訪しています。日本との関係においては、アジアで1番目の訪問国としたこと以外は、残念ながらほとんど新しい成果はなかったのではないかと思います。

 ただ大統領就任から1年が経過し、経済が一段落した時点でアジアの地域政策を総合的に語った日本での演説は、大変示唆に富むものでした。演説では「世界的な景気後退を引き起こしたブームとバスト(破裂)を繰り返すことはできない」として、この30年間に進んできた「新自由主義」ともいうべき市場万能主義が「過剰流動性」を通して格差社会を生んでしまったという反省に立ち、これを2度と繰り返してはならないと改めて宣言しています。また「不均衡な成長をもたらした政策を繰り返すことはできない」として、米国の過剰消費とそれに依拠したアジアを中心とした輸出成長モデルは継続不可能であると述べています(この点については、次回詳しく述べたいと思います)。

 そして「我々はこれまでとは違った道をとる機会となる歴史上稀な転換点を迎えている。それにはバランスの取れた経済成長を追求しなければならない」と宣言した部分は、この2つの持続不可能な成長モデルを放棄・是正して、新しい社会に創り替えるというまさに歴史的に大きな意味を持つ意思表明だと考えています。今回の演説では、「バランス」という言葉を多くの場面で使っており、オバマ大統領がいかに、これまでの不均衡を強い態度で是正すべきだと考えているかが表されていると感じました。

世界恐慌の反省を忘れた金融の規制緩和

 さて前回は、金融危機の根幹を考えるうえで、(1)米国の過剰負債に支えられた「過剰消費」、(2)中国に代表される新興国に対する「過剰投資」、(3)それを支えてきた過剰なリスクテイクに支えられた「過剰流動性」、という3つの過剰問題の中でも、まずは(1)の米国の過剰消費の「根っこ」について述べてきました。1980年の米大統領ロナルド・レーガン革命以降の30年間の歴史を紐解いて、「安価な労働力」や「IT(情報技術)化」の恩恵や流動性の拡大を背景に、格差やリスク不感症を膨らませ米国の「過剰消費」を拡大させた頂点で金融危機が起こったという流れでした。

 今回は、オバマ演説でも触れられている「ブームとバスト」や「格差」の源泉にもなってきた(3)の過剰なリスク・テイクに支えられた「過剰流動性」の根深さについて、歴史に触れながら考察したうえで、オバマ大統領が目指す歴史的な転換点の後の米国や世界について仮説を立てていきたいと思います。

 米国資本市場の規律は、1930年代の世界恐慌の教訓を経て固まったと考えられます。その頃に、銀行・証券の分離を規定したグラス・スティーガル法が制定され、証券取引委員会(SEC)が創設されたほかにも、会計制度や情報開示、投資家の自己責任、運用者の受託者責任などの制度や考え方の基礎が出来上がったのです。ところが30年前の1980年代以降、レーガン政権の規制緩和の流れを受けて、金融も自由化の方向に大きく転換していきました。

 そして20年前の1989年のベルリンの壁が崩壊してからは、グローバル化とIT化が進む中で、金融市場においても急速にグローバル化が進みました。さらには1990年代後半の投機熱の高まりとともに、とうとう1999年11月には(今思えば、これはまさにITバブルの絶頂でしたが)銀行・証券の分離の垣根を事実上取り払う制度改革法(グラム・リーチ・ブライリー法)が制定され、世界恐慌の教訓から生まれた重要な規律が否定され、規制緩和が加速してしまいました。

 現在苦境に陥っている米シティ・グループという金融コングロマリットがこの法律により認められて誕生したことは、歴史の皮肉としか言いようがありません。その後、ITバブル崩壊やエンロン事件を経ても、反省するどころかグローバルな金融の膨張はとどまるところを知りませんでした。まさに、金融機関が生み出す「流動性」を「過剰」な領域にまで拡大させたのは、大恐慌の反省を忘れた1980年代以降の規制緩和が背景にあったと言えます。

 私は、1997年11月に英国の資産運用会社に入社しました。その入社した月に米国の証券系の資産運用会社に買収されることが発表されました(その月には、日本では証券会社や銀行がバタバタと危機に陥っていました)。私としては、英国の資産運用会社の長期思考のじっくりと落ち着いた社風が気に入って入社したのですが、期せずして米国の販売主導の証券会社的な気質に飲み込まれることになり、その社風の違いにとても驚きました。

 それから間もなくITバブルに突入し、高額報酬で次から次へと人を雇い、年末のパーティーでは現金のプレゼントが飛び交い、すっかりあきれかえってしまいました。しかもITバブル崩壊とともに、今度はどんどん人が辞めさせられていく様を見て、何とも虚しい思いとともに、日本にある外資系の会社、さらには外資系の考え方に落胆させられました。

 ただITバブル崩壊のその時期に日本では、外資系ブームが沸き起こり、優秀な学生が大量に新卒採用に応募してきてくれたことにも大変驚きました。私はよく、新卒の学生人気があまりに高い業種は10年後に危機に陥ることが多いと言っているのですが、ITバブルから10年経って外資系金融の本社が無くなったり危機に陥って日本を撤退していたりしていくのを見ると、またもやこの経験則が当てはまっていると意を強くしています。ちなみに日本の1980年代末のバブル期の就職人気業種は銀行・証券・商社でしたが、その10年後の1990年代後半にこれらの業種が苦境に立ったのは、まだ記憶に新しいと思います。

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