「立田博司のニッポンの本流と奔流」

永続企業は「守・破・離」の道を究める

「失われた20年」と「古き良き日本型経営」「悪い米国型経営」

バックナンバー

2010年1月5日(火)

1/5ページ

印刷ページ

 明けましておめでとうございます! 2010年はどんな年になるのでしょうか? 新聞各紙を含めメディアではいろいろな予測がなされていますが、私は大きな転換の年になると考えています。

 1989年12月29日に日経平均株価が最高値(3万8915.87円)をつけてからちょうど20年が経ちましたが、今年は「生みの苦しみ」を経て「新しいニッポン」が誕生したと考えられるような年、今年を起点に明るい未来が描き始められるような年になるでしょう。

 ではどのような転換が起こるのか。これを考える際には、そもそも「失われた20年」はなぜ日本だけで起こったのかを冷静に認識する必要があります。

 前回は、企業の「経営力」について、(1)正しい目標の設定と共有、(2)「本質的な価値」を見抜く洞察力、(3)「本質的価値」をビジネスモデルに転換できる力、の3点について、創業経営者を念頭にファーストリテイリングを例に取りながら考察を深めてきました。

 今回は残された「経営力」の要素である、(4)創業経営者個人が備えた思考・能力を、実践を通して組織化して、企業文化として定着していく仕組みを作る力、すなわち企業経営の在り方と組織の在り方、という難解な問題について考えていきます。

 「失われた20年」は様々な面からの分析が可能ですが、今回は特に「失われた20年」と「日本型経営」に焦点を当て、「日本型経営」の歴史的変遷と「米国型経営」との比較を通して、「新しいニッポン」における「新しい日本型経営」を探っていきたいと思います。なぜなら、この解こそが、実は(4)の解にもなり、また一般的な日本の企業経営の転換後の在り方を指し示すと言えるからです。考え方の道筋としては、いつも通り、歴史を振り返り世界的な視野で日本を捉え、今をあぶり出したうえで、今後のあるべき姿を考えていきます。

「古き良き日本型経営」の強みと弱み

 私事で恐縮ですが、私自身は幼少期に2度ほど米国に滞在したという経験もあり、若い頃から米国に対する憧れを持っていたように思います。そして社会人4年目にニューヨークに駐在員として赴任した時には、いよいよ米国に乗り込むんだという高揚感とプロの世界に飛び込む緊張感で胸が躍っていました。

 実際に赴任してみると、1990年代前半のまだまだ元気がなかったニューヨークであったにもかかわらず、その街が持つ躍動感や働く人のエネルギーはやはり想像以上のものがありましたし、国土や文化の豊かさにも感じるものがありました。ただ後から考えてみると、実は高揚感は赴任当初がピークで、その後は米国の悪い部分が徐々に明らかになるとともに、いろいろな面で日本の良さを感じることが多くなってきました。

 このような見方に変わっていったのは、自分の中で「米国に劣後しているというメンタリティ」が解消されるとともに、米国の懐に入った実体験で日本と米国をより相対的に見ることができるようになったことによって、初めて冷静に観察できるようになったからではないかと考えています。そして「米国型経営」「日本型経営」に対する見方は、私自身が外資系運用会社に10年間働きつつ、日本企業の経営者に会って日々企業分析を繰り返すことにより、さらに研ぎ澄まされたように思います。

 こうした実体験も踏まえたうえで、まずは「日本的経営」がどのように米国に認識され、またその過程でどのような変遷を辿ってきたのか、大雑把に捉えておきたいと思います。

 1970年代前半までは、日本がひたすら米国の真似をしてきましたが、まだまだ米国では途上国イメージだったので、その意味には気づいていなかったと言えます。ちょうど今、日本が中国を見て、ある意味ではその脅威を本格的には認識していない(したくないのかもしれませんが)のとよく似ています。ただそれも1970年代後半になってくると米国では日本脅威論が華やかになり、1980年代には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・F・ヴォーゲル著、阪急コミュニケーションズ、1979年)に象徴されるように日本経営ブームが起こり、米国は日本から謙虚に学ぼうという姿勢に大きく転換しました。

 その陰で、戦後の高成長を支えてきた「古き良き日本型経営」は劣化が始まっていたように思います。特に1980年代以降は、本業の成長が鈍化し投資機会が減少する中、カネ余りと円高により悪い多角化に突き進んでいきました。水面下では、日本の評価が高まったことによる傲慢が蔓延し始め、大きくなり過ぎたが故の大企業病も発生、さらには団塊世代が管理職年齢に達して大量の「経営者的ではない」管理職が生まれ、「古き良き日本型経営」の劣化が内部で進みました。

 日本の戦後の高度成長を可能にした「古き良き日本型経営」の強みは、経営者としての力量が十分な人材が内部昇進して経営者として自由に行動できたことがポジティブに働いてきたことではないかと考えています。が、1980年代後半に経営者の力量が落ちてくる中では、その自由さや管理のルーズさが逆に、経営問題の先送りを生んで「日本型経営」の弱みに変わってしまったと言えます。

 こうした意味では、国全体が長期に発展成長し先進国にキャッチアップする過程で、日本的経営の強さが過大に評価された時期だったとも言えそうです。

 1990年代以降現在に至るまで、高度成長とバブル崩壊を経験した日本では経営課題先送り体質が「失われた20年」につながってきました。一方で米国では、その間に日本に謙虚に学んだことも手伝って復活を遂げ、その米国のカネの力により、日本では短期的成果を求める株主支配型の「悪い米国型経営」に振り回されてしまっています。また、今般の金融危機でその有効性に疑問符がつけられている米国流の金融ルールや内部管理・ガバナンスの仕組みなども同様だと言えます。

ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



関連記事

Keyword(クリックするとそのキーワードで記事検索をします)

Feedback

  • コメントする
  • 皆様の評価を見る
内容は…
この記事は…
コメント0件受付中
トラックバック
著者プロフィール

立田 博司(たてだ・ひろし)

日系・外資系の大手運用会社で20年以上に渡りファンドマネジャーとして資産運用に携わる。2001年、米経済誌「フォーブス」における「20 of the world's Best Fund Managers」の1人に選ばれ、2007年にはトムソン・ロイター参加の米投信情報サービス会社リッパーより、日本中小型株部門における10年間のBest Fundを受賞するなど、国内外の債券・為替・株式運用に長年携わった経験が国際的に高く評価されている。日本証券アナリスト協会検定会員。



このコラムについて

立田博司のニッポンの本流と奔流

世の中で起きている出来事に対して、歴史的な位置づけや世界的な意義をつなげていくことで、将来を見通すファンドマネジャー。この分析力を駆使して、「未曾有の不況」の後に生まれてくるであろう「新しいニッポン」の概念を探っていく。

⇒ 記事一覧

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事

  • いま、歩き出す未来への道 復興ニッポン

日経ビジネスからのご案内