• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「500年の遅れ」100年で取り戻す中国

「新興国ビジネス」という新潮流で世界に貢献できるか

  • 竹島 慎吾

バックナンバー

2010年6月3日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 まもなくワールドカップが始まるが、サッカーの発祥地が中国であると聞くと驚く人は多いかもしれない。

 サッカーの起源については諸説ある。中でも2004年に国際サッカー連盟(FIFA)が、紀元前2世紀頃の漢王朝時代の蹴鞠(けまり)がサッカーの起源であると認定したことは話題になった。現在のような球技としてのサッカーが確立したのは19世紀の英国と言われているが、2000年以上前の中国でサッカーの原型が誕生したという話は、中国の壮大な歴史を物語る一例といえる。

 中国から欧州に伝播した蹴鞠は、中国での発祥から約2000年の歳月を経て世界で最も人気があるスポーツとなった。16世紀以降、欧州は羅針盤、火薬、印刷機、紙によって世界を席巻したが、これらはすべて中国で発明されたものであった。同じように、サッカーも中国が世界に大きな影響を与えた発明品の1つとみなすことができる。

 古代中国が生み出した画期的なモノが、世界各国との交易により海外に伝播、それが世界の歴史に大きな影響を与えてきたといえよう。

中国の転換点となった6つの節目

 昨今の中国の急速な経済発展を語る時、1978年の改革開放を起点にすることが多いが、100年単位で振り返ると、中国はつい数世紀前までは西洋諸国を凌駕する大国だった。換言すれば、中国は数千年の歴史の中で、西洋の後塵を拝するようになったのはわずか最近数百年のことであり、それまでは1000年以上にわたり、中国は科学技術分野で世界をリードする大国であったといえる。

 米国の著名な経済学者であるジェフリー・サックス氏は『貧困の終焉』(The End of Poverty)の中で、中国が経済水準で西洋諸国に遅れをとるようになったのは15世紀以降のことであり、19世紀半ばから20世紀半ばにその遅れが「絶対的なもの」になったと述べている。サッカーの試合に例えると、前半はリードしていたものの、後半に入ると逆転され、やがて逆転が難しい状況になったといえる。

 サックス氏は15世紀以降の中国の後退と20世紀終盤からの未曾有の高成長の要因を、1434年、1839年、1898年、1937年、1949年、1978年、という6つの節目に求めた。

1434年 明王朝による国際貿易の事実上の閉鎖(世界からの孤立)
1839年 アヘン戦争(台頭する英国との衝突)
1898年 百日維新(近代化運動の失敗)
1937年 日中戦争(台頭する日本との衝突)
1949年 中華人民共和国誕生(共産主義政権の誕生)
1978年 改革開放(社会主義市場経済の導入)

 6つの節目の中で、サックス氏は、1434年に実施した事実上の鎖国政策の代償が大きかったとの見方を披露している。攻撃を止め、守りに徹すると得点できないばかりか、結果として失点につながるという教訓とみることができる。

中国の再台頭が世界を刺激

 改革開放以降、中国は「500年の遅れ」を取り戻すべく果敢にゴールを攻めるようになった。この結果、再台頭した中国は世界に大きな影響を与えている。とりわけ、2000年代に入ってからの中国の急速な台頭は「中国脅威論」をもたらした。

 その後、中国が世界の生産拠点としてのみならず巨大な消費市場としての魅力が増すと、中国の高成長を取り込むという「中国共生論」へ変化した。もっとも、近年では別の「中国脅威論」もある。それは、中国経済の失速が脅威というものである。

 今般のグローバル金融危機で欧米など先進国が戦後最悪の苦境に陥る中、中国が世界経済の救世主となったことで、世界経済が中国経済に対する依存度を高めたことが新たな脅威論の背景にある。

 アジアに目を転じると、中国の再台頭は域内の経済統合の流れを加速させた。とりわけ、最も大きな刺激受けたのがASEAN(東南アジア諸国連合)であろう。

コメント7件コメント/レビュー

鎖国によって遅れたは当たらない。明時代を世界各国と比べても遜色はないし、鄭和がはるかアフリカまで出かけたのは西洋に先駆け100年前である。むしろ、清朝末期の維新が失敗、その後の各国による割拠、そして毛沢東率いる共産党支配が大きい。中国4000年の歴史から見ても、彼らは他国より一回多い周回に入っているのだと思う。中国が大国になれない理由として倫理的なことをあげることもあるが、それはおそらく関係がない。米ソが大国だった時代、人種差別や粛清を取り上げ、大国と認めないという声が上がっただろうか。清濁併せ呑むこの国が世界を牽引する時代に日本はどんなスタンスを取るのか、その方が気にかかる。(2010/06/04)

「Money Globe ― from Asia(竹島慎吾)」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

鎖国によって遅れたは当たらない。明時代を世界各国と比べても遜色はないし、鄭和がはるかアフリカまで出かけたのは西洋に先駆け100年前である。むしろ、清朝末期の維新が失敗、その後の各国による割拠、そして毛沢東率いる共産党支配が大きい。中国4000年の歴史から見ても、彼らは他国より一回多い周回に入っているのだと思う。中国が大国になれない理由として倫理的なことをあげることもあるが、それはおそらく関係がない。米ソが大国だった時代、人種差別や粛清を取り上げ、大国と認めないという声が上がっただろうか。清濁併せ呑むこの国が世界を牽引する時代に日本はどんなスタンスを取るのか、その方が気にかかる。(2010/06/04)

ジェフェリー・サックス氏の見解は,最初の基本的なところで間違っているのではありませんか.明や清の「鎖国政策」に原因を求めることは適当ではなくて,世界交易の重心が内陸交流(シルクロード)から海洋交流(大航海時代)に移動しつつあったときに,なお内陸大帝国であったトルコ,モンゴルやその後裔(清を含む)が相対的に衰退して行ったということでしょう.実際,清のときの冊封圏は朝鮮半島,インドシナ半島,さらに,琉球まで及んでいますから,「鎖国」というわけではないし,もともと関心はその範囲の「世界」で完結していたはずです.日本はというと,この意味の(本質的に内陸志向の)中華圏(=東アジア)には属してはいなかったので,世界交易の重心の移動にそれなりに柔軟に対応できたということではありませんか.江戸時代の「鎖国政策」も本来は尊大な世界観に基盤を持っていたわけではなかったと思います.こう考えてみると,サックス氏の挙げた他の論拠も見当違いかもしれないと思います.(2010/06/04)

15世紀に始まる中国の没落は世界史上最大のなぞと思いますが、その理由について、中国の歴史学者達はどのように考え、学校教育でどのように教えているのでしょうか。大変興味がわきます。(2010/06/03)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

店長や売り場主任などの管理職は、パートを含む社員の声を吸い上げて戦略を立てることが重要だ。

川野 幸夫 ヤオコー会長