• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

電力問題についての三つの誤解

電気料金を値上げするのが合理的かつ効率的

2011年5月25日(水)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 今回の大震災によって、地震、津波、原発事故という3つのショックが同時に日本の経済社会を襲った。このうち「地震、津波の被害」と「原発事故」については相当の違いがあり、分けて考える必要がある。

 第1に、地震と津波そのものは既に起きてしまったことであり、現時点では被災者の方々の生活支援と復興が大きな課題となっている。しかし、原発問題は依然進行中であり、まだ解決の見通しさえ定かではない。

 第2に、その影響のタイプが全く異なる。地震、津波は一瞬にして多くの人命を奪い、資本ストックを破壊した。一方、原発事故は放射能による汚染問題を引き起こし、電力の供給不足問題を引き起こすことによって、広域的にフローの経済活動に大きな影響を及ぼしつつある。

 第3に、対応策も異なる。地震と津波については、応急的な生活支援策が講じられた後、新たな地域作りが始まろうとしている。一方、原発問題は、原発施設そのものの安全性の確保に加え、夏に向けての電力不足問題への対応、さらには将来へのエネルギー政策をどう再構築していくかという大問題が控えている。

 このコラムでは、これまで主に地震、津波の被害とその影響、対応策を中心に考えてきたが、今回は電力問題について考えてみる。この問題については、各方面で多くの議論が展開されているが、これまで私が物事を考える基盤としてきた経済的な視点から見ると「すこし基本に戻って考え直してみてはどうか」と思うことが散見される。そのうちの主なものを紹介してみたい。

 なお、あらかじめ断っておくが、これから述べるような発言をすると、「経済学者はそういう発想をする」とか、「こういう経済学者の発想にはついていけない」といった類のコメントが出る。しかし、この世に同じ考え方を持つ「経済学者集団」というものは存在しない。100人の経済学者がいれば、100通りの考えがあると思った方がいい。以下で述べることは、あくまでも「私」の考えであるので、批判するにせよ、同意するにせよ、「経済学者」ではなく「私」を対象として欲しいと思う。

第1の誤解「電力業は普通の産業ではない」

 我々の身の回りには、多くの財貨・サービスがある。これらのほとんどは、誰が製造販売しても、誰がどれだけ購入しても自由であり、政府がその需給や価格をコントロールしているわけではない。むしろ政府が何も言わずに、企業と消費者が好きなように行動することこそが最も効率的で適切な資源配分をもたらす、というのが基本的な経済学の教えである。しかし、例外もある。自由な競争に委ねているとかえって効率が悪くなる場合だ。その場合は公的な規制や監督が必要となる。

 多くの人は、電力はその例外だと考える。現実に電力については、業者に供給義務があり、価格設定も自由ではない。これは電力の供給は、普通の財貨・サービスとは違うからである。私もここまでは同じ考えである。ではなぜ電力は特殊なのか。このあたりから考えが分かれてくる。

 多くの人は、電力業に種々の規制があるのは、それが生活に欠かせないサービスであり、最低限の生活を営むために、その供給が保障されるべきものだからだと考えているのではないか。

 この点については、電力会社の人もそう考えている節がある。ものすごく昔の話になって恐縮だが、私が役所に入って間もなくの頃(40年位前)の出来事である。私は経済白書をまとめる経済企画庁の内国調査課に配属されていたのだが、当時、ある電力会社から同じ課に派遣されていたTさんがいた。ある時、私とTさんとで論争になった。何かの弾みで、私が「電力といえども資源を使って生み出されるサービスの一つなのだから、価格を使って需給を調整すべきだ」と主張した。これに対してTさんは色をなして「いや、それは違う。電力は普通のサービスとは違うのだ。人々の生活にとってかけがえのないサービスなのだから、できるだけ安く、人々が欲する限り無尽蔵に提供されるべきものだ」と反論してきたのである。もちろんこれはTさんだけの考えかもしれないが、当時私は「なるほど電力会社の人はこういう考えで仕事をしているのか」とやや驚いたものだ。

 しかし、私の考えでは、生活や生産活動にとってなくてはならないから電力が特殊なのではない。もし「なくてはならないから」公的な介入が必要なのだとすると、なぜ衣食住という最も基本的な財の供給は自由なのだろうか。電力がないと困るが、食べ物がないともっと困るだろう。では食料の生産者に供給義務があり、価格が規制されているかというとそんなことはない。このことは、公的介入が必要とされるのは、その財貨・サービスが「なくてはならないかどうか」によって決まるわけではないということを示している。

 ではなぜ電力は特殊なのか。それは、独占的に供給したほうが著しく効率的だからである。規模の経済性が極めて大きいのである。つまり、電力を供給するためには、電線を張り巡らさなければならないが、同じ地域で複数の事業者が電力を提供しようとすると、近接した地域で何本もの電柱が立ち、電線が幾重にも張り巡らされることになる。これは、莫大な重複投資が行われることになるから極めて非効率である。電力はこのような「ネットワーク型」産業としての性格が強いので、一つの事業者が地域的に独占して電力を供給したほうがはるかに効率的となる。だから電力産業は地域独占が認められているのだ。ガスや上下水道も同じである。

 私のこの考えが正しいとすると、次のような考えが導かれるのは自然である。

 第1に、電力は今後も永遠に公的規制下に置かれる必然性はない。技術進歩によって独占のメリットが小さくなることが考えられるからだ。例えば、燃料電池による発電設備が普及してくると、電線は要らなくなる。燃料電池の発電設備は、自宅で空気中の酸素と、水素(これは都市ガスから取ることになるらしい)を使って電力を生み出すことになるからだ。電線がいらなくなれば、地域独占の必要もなくなる。規制のあり方は、技術進歩と歩調を合わせて進める必要があるということである。

コメント119

「小峰隆夫のワンクラス上の日本経済論」のバックナンバー

一覧

「電力問題についての三つの誤解」の著者

小峰 隆夫

小峰 隆夫(こみね・たかお)

法政大学大学院政策創造研究科教授

日本経済研究センター理事・研究顧問。1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業、同年経済企画庁入庁。2003年から同大学に移り、08年4月から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

短期保有者のいいようにさせたら、中長期で保有したいと考えている株主はどうなるのか。

貝沼 由久 ミネベアミツミ社長