草食男子に肉食女子。そうやってキャラクタライズされたかと思ったら、今度は消費しない若者と言われる。家に閉じこもる。クルマに興味がない、海外旅行も関心ない。酒も飲まないし、グルメも人ごと。テレビやマスコミはこぞって「若者の○○離れ」といって総攻撃の様相です。
ちょっと待ってください。消費は若者だけがけん引しているのですか? 消費をしないことは「悪」なのですか?
確かに、トレンドはいつの時代も若者がつくっています。70年代は、若者は肩まで髪を伸ばし、パンタロンのジーンズを引きずって歩いていました。姿形だけを見れば異様で「何だ今の若者は!」とめちゃめちゃにたたかれた世代です。しかし、それは古い価値観に疑問を呈し、新しい価値観を探すという意思の表れ。どんな時代にも、どんな社会にもある普遍的なものでした。まあ、あの時代は日本という社会が右肩上がりを誰も疑わなかったので、それで社会の基盤がぐらつくことはありませんでしたが。
あのころと今の決定的な違いは、経済活動。すべての価値が「お金」をベースに考えられていること。いつの間にか、日本社会の象徴である「中流階級」が減少し、「上流」と「下流」に分離してしまった。そこに、グローバル経済というモンスターが現れ、瞬時に多くの国を破壊していったのです。
そのせいで、トレンド=消費トレンドという構図が出来上がり、消費する・しないではなく、どんな消費をするかにスポットが当たるようになりました。ファストファッション?ナカ食?スマートフォン?など流行は消費と密接にリンクしています。
ですから、経済という村の人から見れば、クルマに興味がない若者がいるということ自体、不可解な事象。なぜ、こんなすてきなものを手に入れて、楽しいライフスタイルを実現しないのか理解できないのでしょう。
経済という村には、いくつかのルールがあります。その1つが、マーケットを観察し機先を制したものだけが成功者となり、そこに富が集まるという法則。しかし、ご存じのように経済の原則は等価交換ですから、経済という村では一定の量の富を取り合っているにすぎない。一方に大きく集まれば、他方の富は少なくなる。椅子取りゲームと同じように、椅子にありつけない人がどんどん生まれてくるのです。
今までは幸運なことに、日本という経済村には富が集まっていました。きっと、そのころは世界のどこかで富が不足していたのでしょう。しかし、富が不足して初めて気が付くこともある。それが、若者の○○離れという現象ではないでしょうか。何だかそう思えるのです。
もちろん、それは経済的な問題が引き金にはなっているでしょう。でも、クルマに乗らなくても、グルメしなくても「すてきな人生がある」。そんなことに気が付いたのかもしれません、それも一斉に。
一番新しい心理学である「トランスパーソナル」は、個を超えた集合無意識にスポットを当てていますが、ある思いが一定数を超えると、遠く離れていても同じような思いを持つ現象が起こる、といわれています。つまり、思いがつながる?
もちろん、マスやネットの情報刺激がありますから、その現象がさらに大きくなるのは必至です。そう考えると、「若者の○○離れ」は消費トレンドではなく、価値観の移行と見ることもできます。クルマを若者に買ってもらうために、「安いクルマ?」「かわいいデザイン?」「ハイブリッド? 電気自動車?」などと頭をひねったところで、それは今までの村での解決法と何ら変わらない。本当の解決方法はもっと違うところにあるのでは? と考えざるを得ません。
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