先日、「ラーメンおじさん」のニュースがありました。ラーメン店で帰り際に100万円をポンと置いて、子供に無料でラーメンを食べさせてくれというものです。記憶に新しいところでしょう。
それを聞いて、ある物語を思い出しました。志賀直哉の「小僧の神様」という小説です。「貴族議員のA」は、ひょんなことから秤屋に奉公する小僧に、明治時代に流行していた屋台すし屋で、名前も告げず姿も見せずにごちそうするというお話。
Aは、小僧を喜ばせたのですが、善行をしたということに妙な不快さを感じ、一方、小僧の方は、あれは神様の仕業かもしれないと信じる。私たちの生活の中でも、似たような思いを経験したことがあります。善行に対する居心地の悪さ。でも、ここに経済の原点である「贈与」の考え方がハッキリと見えているのです。
基本的に見返りを求めない贈与。そこには、モノを介して人と人を感情的につなげる力があります。これこそが、コミュニケーションの形態としての経済というものの原型。ですから、贈与することは自分の「心」を一緒に相手に渡しているとも言えます。贈与された側は、その心を感じ取って、どんなものをいつお返ししようかと考える。この行為が循環して、モノが動き回るのです。
贈り物をもらったときやプレゼントしたときに誰でもが感じる、あの感情です。決してもらった以上のモノを返そうとも思わないけれど、それ以下でもない。また、相手の気持ちをちゃんと考える。私たちにはこの原初的な贈与の考えが身に染み付いているのです。不思議なことですが。
そして、この贈与がおそらく何万年もの間、人類の経済行為の主要なものでした。しかし気持ちのこもった贈与のやりとりには手間暇がかかる。やがて都市社会が発展すると、もっとスムーズにスピーディーにモノを循環させる必要が生じ、「交換」という考えが生まれたのです。ここから市場が始まり貨幣が始まりました。いわば市場はモノにこもった気持ちを切り捨てて、貨幣で測れる客観的な使用価値だけにそぎ落とす場所だったのです(参考:中沢新一著「愛と経済のロゴス」、講談社)。
ラーメンの話から贈与の話へと飛躍してしまいましたが、この時季、気になるのは「贈り物」。帰省の際、手土産を携えずに帰る人はまずいなかったでしょう。お中元に始まり、暑中見舞い、帰省と、夏は贈り物が消費の主役として登場します。
一昔前のお中元なら、日本酒・ウィスキーなどの酒類、インスタントコーヒーやカルピスなどの飲料、調味料、食用油などが定番でした。ライフスタイルが変わるとともに、産直食品や高級洋菓子、選べるギフトなど個性的なものも現れて、たくさんのバラエティ。帰省のお土産も、「ナボナ」や「ひよこ」などの定番から、デパ地下食品や有名パティシエのスイーツ、様々な「限定品」などに広がり、贈る側もいろいろと工夫を凝らす時代になりました。
この機会に贈り物のことを思い起こしてみましょう。私たちの生活には、実に「贈り物」があふれています。結婚、出産、入学、入社、昇進、新築、移転、誕生日、七五三、快気祝い、クリスマス、バレンタインなど。ちょっとした訪問まで入れると、気の遠くなるほどギフトと縁が深い。昔は帰宅が遅くなったからといって、父親がお土産を持って帰ってきたほどですから。手土産携えては、典型的な日本人の光景だったに違いありません。
お国柄によって、ギフト感覚の強い弱いはあるでしょうが、ギフト感覚は世界中に存在するものです。特に日本人は、他者への感謝や気遣いの強い民族ですから、ギフト感覚はからだに染みこんでいると思います。
そういう市場ですから、多くのブランドはマーケティング活動の中に「ギフト」を取り込んでいます。しかし、どうでしょう。そのほとんどは、言葉は悪いですが「ま、やっておこうか」という程度のもの。お中元、お歳暮の季節に合わせて実施しているのが現状でしょう。それぞれの節目やライフステージに合わせてマーケティング活動をしても、数字的にビジネスとしては物足りないというのが本音かもしれません。
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