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「社会貢献しないと本業が成立しない」ビジネスモデルで急成長

毎年新卒30人採用、福岡拠点の「リーフラス」

2011年11月17日(木)

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 日本で企業の社会貢献が本格的に話題になったのは、1980年代バブル終焉後である。戦後の高度成長により日本は経済超大国になり、米国の対日貿易赤字は増えるばかりであった。1985年のプラザ合意によって急激な円高に誘導させられたが、日本企業は海外に工場を移転することによって貿易摩擦を回避する方向に舵をきった。特に輸出産業の雄である自動車産業は、反発の多い米国や英国に自動車工場を建設し、地元雇用を促進した。

 実際に米国で工場を建設してみて、地域の問題が日本の状況と違うことにすぐに気がついた。日本国内に工場を建設する場合は、その地域の政治家や名士と言われている人たちと交渉すればよかった。名士と言われているのは、封建時代の支配者層の末裔であったり、地域経済の成功者であったりする。

 ところが民主主義国家であり新興国家である米国には、そうした地域ボスとの馴れ合い文化がない。地元企業は、常に地域に対して具体的な社会貢献をアピールしないと地域企業として認めてもらえないのである。そのことに気がついた貿易主体のグローバル企業の間から、企業の社会的貢献であるCSR(Corporate Social Responsibility)やフィランソロピーという言葉が語られはじめた。経団連が「経常利益の1%を社会貢献にあてよう」とする「1%(ワンパーセント)クラブ」を立ち上げたのは、1990年だった。

企業のCSRはどこへ行ってしまった?

 企業はCSR室を作り、環境問題をはじめとして社会貢献活動を競い合い、ある種のブームになった。CSRに取り組まない企業は株主総会で糾弾されるという事態も起きた。しかし、この取り組みは日本の風土から生まれたものではないので、日本社会に根付いたとは思えない。ビル・ゲイツのように、人生前半で巨額の利益をあげた者は、余生は社会貢献に没頭するという文化も体質も日本人にはないものである。

 本来の日本にとっては、日常的な経済活動そのものの中に互助精神があり、地域貢献の心があった。付け焼き刃的な企業のCSR室は、企業収益の悪化とともに、活動を鈍らせていく。10年前、あれほど企業の社会貢献に熱弁を振るった企業人もすっかりおとなしくなった。彼らのロジックは、所詮、海外からの借り物にすぎなかったのだろうか。東日本大震災という未曾有の厄災に襲われた東北地方に対して、一部の先進的な企業を除いて、経済界全体で持続的な貢献活動をしようという動きは見えてこない。

「人の懐を頼りにすると性根が腐る」

 日本にも古くから社会貢献活動をしている組織は多い。多くは事業成功者が個人資産を原資として、その金融利回りで運営するものだろう。独自の定期的収益源を持つのは、日本財団(旧船舶振興協会)やJKA(旧日本自転車振興会)などのギャンブルの寺銭を原資にするものがある。

 単独の企業で本格的に社会貢献活動の組織を作ったのは、国際化先進企業のトヨタ自動車が1974年に設立したトヨタ財団だろう。豊田英二氏は「情報化社会」という言葉の生みの親である林雄二郎氏を専務理事を迎え、全面的な支援を約束した。トヨタ財団の活動は、テーマ設定においても方法論においても、独自のものが多くみられる。

コメント1件コメント/レビュー

銀行から融資を受けられない貧困層の人々に資金を貸し付ける「マイクロクレジット」の話をはじめて聞いたときのように感動した。大きな利益は得られなくても、持続可能で社会に貢献できる事業を発想し、実現してみせた会社が存在するとは驚きだ。グラミン銀行を創設したムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したように、リーフラス社も大きく顕彰される機会がおとずれることを祈りたい。それにしても橘川氏、マーケット業界や官僚叩きについての大所高所的論調のあと、あまり知られていない草の根的な話題をぶつけてきた。つぎの玉はどこから飛んでくるのか、楽しみに待ちたい。(2011/11/22)

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「「社会貢献しないと本業が成立しない」ビジネスモデルで急成長」の著者

橘川 幸夫

橘川 幸夫(きつかわ・ゆきお)

デジタルメディア研究所代表

1972年、音楽雑誌「ロッキングオン」創刊。78年、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。その後も、さまざまな参加型メディア開発を行う。現在、阿佐ケ谷アニメストリート商店会会長、未来学会理事などを勤める。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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銀行から融資を受けられない貧困層の人々に資金を貸し付ける「マイクロクレジット」の話をはじめて聞いたときのように感動した。大きな利益は得られなくても、持続可能で社会に貢献できる事業を発想し、実現してみせた会社が存在するとは驚きだ。グラミン銀行を創設したムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞したように、リーフラス社も大きく顕彰される機会がおとずれることを祈りたい。それにしても橘川氏、マーケット業界や官僚叩きについての大所高所的論調のあと、あまり知られていない草の根的な話題をぶつけてきた。つぎの玉はどこから飛んでくるのか、楽しみに待ちたい。(2011/11/22)

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ジェニー・ダロック 米ピーター・F・ドラッカー伊藤雅俊経営大学院学長