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75年間チンドン一筋だった親方

「変わらないもの」の価値を思い出す

2011年11月22日(火)

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 様々な媒体に掲載されたスティーブ・ジョブズ氏の訃報記事を読み、その功績の大きさを思う。彼がいなければ、今この時代私たち記者の仕事のあり方も根本から違ったものになっていたかもしれない。しかし、それらの記事を読みながら、なぜか私はある1人の老人のことを思い起こしていた。

 経済誌記者という「今」を切り取り続ける仕事をしていると、変わるものにしか価値を見いだしにくくなる。変わるもの、新しく生み出されたものしか記事にならないから。ジョブズ氏はあまりに多くのものを生み出し続けた。だから記事には、彼はこれを変えた。あれを生み出した、ということが書き連ねられている。

 私が思い起こした老人に、何を生み出し、何を変えたかを問うてみても、きっと江戸っ子言葉でこう返すだろう。

 「もう何十年もやってるけどね、ンなこたぁ知らないヨ」

同業者が廃業する中、黙々と

 大井正明さん。東京は下町、墨田区曳舟界隈に生まれて、92歳で亡くなるまでそこで暮らし続けた。職業は、チンドン屋。芸名の菊乃家〆丸(きくのやしめまる)の方が通りがいいかもしれない。亡くなる直前まで実に75年間ほどチンドン屋一筋の人生を歩まれた。「変わらない」ことを貫いた一生だったと言っていい。

 太鼓や鐘で人目を引いて、新店の開業や催しを宣伝して練り歩く。戦前には、東京市内に2000人ほど同じ稼業の仲間がおり、同じ町内にも数軒のチンドン屋があった。ところが新聞の折り込み広告が盛んになるにつれて仕事が減った。同業者が次々に廃業していく中で、ただ1人黙々と仕事を続けた。

 〆丸親方に最初にお会いしたのは2006年の冬のことだった。ご自宅の前で記者が声をかけると「ほい、あがりなよ」と元気な声が返ってきた。引き戸をガラリと開けるとすぐに居間で、コタツに小柄な老人がひょっこりと上半身を見せていた。「ご苦労さん、よく来たネ」。

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「75年間チンドン一筋だった親方」の著者

池田 信太朗

池田 信太朗(いけだ・しんたろう)

日経ビジネスオンライン編集長

2000年に日経BP入社。2006年から『日経ビジネス』記者として、主に流通業界の取材に当たる。2012年『日経ビジネスDigital』のサービスを立ち上げて初代編集長、2012年9月から香港支局特派員、2015年1月から現職

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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