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 以前、このコラムで「孫正義の透視眼」という記事を書いた。取材者として孫正義ソフトバンク社長に接しながら、孫氏の視線が自分を通り越して読者に向かっていることに記者としての無力感を吐露したのだが、読者の方々から「メデイアの記者としてプロではない」と厳しいお叱りを受けた。今回も恥のかきついでで、メディアと取材対象の距離の話からはじめたい。

 先日、社長交代を発表したパナソニックのことだ。といっても退任する大坪文雄社長や、新社長に昇格する津賀一宏専務のことではない。今回の人事で代表権を持たない相談役に退くことになった中村邦夫会長である。

 中村氏といえば2000年の社長就任以降、「破壊と創造」のキャッチフレーズを掲げ、同社の構造問題だった縦割りの事業部門制を廃止したり、大番頭が幅をきかせていた上場子会社を吸収したりして改革を進め、経営再建、いわゆる「V字回復」を主導した。06年に社長を退任した後も大坪社長の後見人、あるいはパナソニックの精神的支柱として薄型テレビ事業や、三洋電機、パナソニック電工の吸収などの機構改革を後ろから支えてきた。

「ディスコミュニケーション」で改革

 中村氏は改革に際し「創業者(松下幸之助氏)の経営理念以外に聖域はない」と言い切った。あるパナソニック関係者が、「守旧意識の強いパナソニックの中で中村氏が様々な慣習を打破できたのは、彼にディスコミュニケーション能力があったからではないか」と語ったことがある。直訳すれば「コミュニケーションの不全」だが、むしろ無駄なコミュニケーションをしない能力と言い換えた方がいいかもしれない。

 確かに中村氏は極端に口数が少なく、社交の場にもめったに顔を出さない人物だった。社長在任時代から、重要な会合がある時以外は夕方早いうちに帰宅し読書にふける。日本経団連会長の有力候補に挙がったことは1度や2度ではないが、固辞し続け、財界活動からも距離を置いていた。社外活動だけではない。社内でも側近幹部と夕食をともにしたりすることはめったにない。中村氏の近親者によれば、会社の人の中で一緒にいて本当にリラックスできるのは、米国時代にともに赴任していた部下たちぐらいだったという。


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