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復興、エネルギー問題、幸福度のカギを握るのはむしろ「成長」

脱成長論を考える(下)

2012年5月16日(水)

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 前回「経済成長は七難を隠す」で述べたように、基本的に経済成長は多くの経済的問題を解決し、人々の暮らしをより豊かにするはずだ。なお、念のために言っておくと、ここで言う経済成長とは「サステナブルでかつ経済の潜在力を十分生かした」成長のことを指している。インフレになったり、バブルが起きたりしても構わないと言っているわけではない。

 ところが最近各方面で「これ以上の経済成長は必要ない」という「脱成長論」が多く見られるようになった。代表的なものとして「今回の大震災を契機に、脱成長に向かうべきだ」「国内総生産(GDP)の成長よりも幸福度を重視すべきだ」「地球環境などの制約を考えるとこれ以上成長を追及するのは無理だ」といったものがある。

 こうした脱成長論はいつの時代にもあった。高度成長期の1970年代には「くたばれGNP(当時はGDP、国内総生産ではなく、GNP、国民総生産を主に使っていた)」という議論があった。これは、成長率は高いが、公害や都市の過密、地方の過疎化等のマイナス面もまた大きいという主張だった。

 バブル期には(厳密にはバブルがはじけた直後だが)、中野孝次氏の『清貧の思想』という本がベストセラーになった。物や金に執着せず、生活は簡素にして心の世界を豊かにしようという主張だった。

 ただ、「くたばれGNP」も「清貧の思想」も、現実の経済が成長する中で、その成長の意味を問い直すというものだった。現実へのアンチテーゼとしてこうした考えが現れるのは、ある意味では自然である。

 しかし、最近の脱成長論は、現実の経済が成長していない中で現れているという特徴がある。脱成長論は「このままの低い成長で良い」と言っているわけだから、「改革派」というよりは「保守派」だと言った方がいいかもしれない。

 以下では、前述の三つの脱成長論を取り上げ、それぞれについての私の考えを述べてみたい。

大震災後の脱成長論

 東日本大震災後、世の中には、「これを機に成長至上主義、効率優先主義から脱却すべきだ」という反成長の考え方が現れている。こういう主張は多いと思うが、たまたま私が目にした二つの実例を紹介しておこう。

 一つは、震災復興のあり方を検討するために政府に設けられた復興構想会議における玄侑宗久委員の次のような主張である。

 「戦後は『富国』に絞り込み、技術革新を含む経済活動によって世界に冠たる大国に成長するわけだが、これもバブル経済の崩壊や大震災、そして今回の原子力発電所の事故によってあえなく崩れるのである。ならばわれわれは、今後どこへ向かうべきなのか。その方向性は、まず何よりも効率優先、市場主義経済、集約的システムから脱却することを目指すべきだろう。」(第10回東日本大震災復興構想会議、平成23年6月18日提出資料より)

コメント23件コメント/レビュー

小峰隆夫氏(法政大学大学院政策創造研究科教授)の経済成長についての議論。成長の実質的な側面では、彼の見解はおそらく間違っていない。そもそも、経済成長が生活の豊かさに寄与するということについて反対する人はいないのではないか。ガルブレイスでさえ、どのような場合であっても成長しないよりはする方が良いと言っているくらいだ。しかし、問題なのはむしろ成長の理念的な側面だ。子どもが速く走れるようになれば、それは子どもにとってプラスである。勉強が出来るのもそうだ。しかし、それに追われてしまえば、その子はもう幸福とは言えなくなるだろう。多くの場合、脱成長論が問題にしているのも同様の懸念であるように思う。たとえ経済成長が実質的に社会を豊かにするとしても、それが至上の価値になってしまっては、成長が人間に寄与するのではなく、人間が成長に奉仕する事態になってしまうのではないか、いや既にそうなっているのであり、私たちはそれに疲れてしまっているのではないか。それが、脱成長論の論点だろう。小峰氏は、この論考の前編に当たる「経済成長は七難を隠す」で、「『経済は人間のためにある』。これが私の経済憲法の第1条である。人々の生活をできるだけ豊かなものにする。これが経済の最終目標であり、それを達成しようとするために経済政策がある」と書いているが、成長の魔力は、ときにそれを転倒させてしまう。本来、子どもの幸福にとって、より速く走ろうと努力することと、速く走れない自分を認めてあげることは矛盾しない。それはトレードオフではないからだ。経済成長も同じだろう。成長か脱成長かという二元論は無意味であるように思う。経済が成長することは悪いことではないが、しかし成長しなくても生きていける社会でなくてはならない。緩やかに成長が目指されてはいるが、立ち止まって迷い、考えることのできる社会。それを模索すべきだ。(2012/05/17)

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「復興、エネルギー問題、幸福度のカギを握るのはむしろ「成長」」の著者

小峰 隆夫

小峰 隆夫(こみね・たかお)

法政大学大学院政策創造研究科教授

日本経済研究センター理事・研究顧問。1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業、同年経済企画庁入庁。2003年から同大学に移り、08年4月から現職。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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いただいたコメント

小峰隆夫氏(法政大学大学院政策創造研究科教授)の経済成長についての議論。成長の実質的な側面では、彼の見解はおそらく間違っていない。そもそも、経済成長が生活の豊かさに寄与するということについて反対する人はいないのではないか。ガルブレイスでさえ、どのような場合であっても成長しないよりはする方が良いと言っているくらいだ。しかし、問題なのはむしろ成長の理念的な側面だ。子どもが速く走れるようになれば、それは子どもにとってプラスである。勉強が出来るのもそうだ。しかし、それに追われてしまえば、その子はもう幸福とは言えなくなるだろう。多くの場合、脱成長論が問題にしているのも同様の懸念であるように思う。たとえ経済成長が実質的に社会を豊かにするとしても、それが至上の価値になってしまっては、成長が人間に寄与するのではなく、人間が成長に奉仕する事態になってしまうのではないか、いや既にそうなっているのであり、私たちはそれに疲れてしまっているのではないか。それが、脱成長論の論点だろう。小峰氏は、この論考の前編に当たる「経済成長は七難を隠す」で、「『経済は人間のためにある』。これが私の経済憲法の第1条である。人々の生活をできるだけ豊かなものにする。これが経済の最終目標であり、それを達成しようとするために経済政策がある」と書いているが、成長の魔力は、ときにそれを転倒させてしまう。本来、子どもの幸福にとって、より速く走ろうと努力することと、速く走れない自分を認めてあげることは矛盾しない。それはトレードオフではないからだ。経済成長も同じだろう。成長か脱成長かという二元論は無意味であるように思う。経済が成長することは悪いことではないが、しかし成長しなくても生きていける社会でなくてはならない。緩やかに成長が目指されてはいるが、立ち止まって迷い、考えることのできる社会。それを模索すべきだ。(2012/05/17)

97年のデフレ期に消費税を2%上げ、財政再建を叫び公共投資をひたすら削減してGDPデフレーターが下降線をたどるようになって以来、年間の自殺者が2万人から3万人に増えそれが未だに続いていることを経済成長否定論者はどのように考えているのだろうか。まさか自殺者が増えることは日本の人口が減ることにつながり生き残った人々が幸せになるなどと考えているのだろうか。GDPが増していかなければ雇用の確保も困難になり、現在正社員の人もいつ解雇されるかわからないのだ。世話焼き爺(2012/05/16)

経済成長はした方がいいのは間違いない。だがこの人口オーナス下非常に難しいのもまた現実だ。だから、社会の一部は成長しないことを受け入れ、それでも幸福を感じられるような考えにもっていかないと社会全体の幸福はなしえないのではないか。経済も政治も、社会の幸福のためにあるのだから。もちろん、成長できる部分は全力で成長を目指すのは当然だ。(2012/05/16)

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