今回は、第4回目で少し触れた「“低価格”というメッセージ」について考えてみよう。安いものを提供するからデフレなのか、デフレだから安いのか、経済学者のあいだでも論がわかれている昨今だが、事実いろいろなものやサービスが安いことは事実だ。しかし、私たちはすべてのものを安いからという理由だけで受け入れることはできない。
安いものにはワケがある
いまさらいうまでもないが安いものには安いなりの理由がある。が、わかっていても“激安”、“格安”という言葉には惹かれてしまう。“安かろう悪かろう”という言葉があるように基本的に安さは品質とのトレードオフであるにもかかわらずだ。
もちろん、最近は安くても品質の良い製品、納得できる製品が市場にあふれている。それらがデフレ経済の先兵であることも確かだ。
ともあれネット以前は店先のPOP(店頭広告)か店員の言葉を信じるしかなかった。チラシに掲載されているのであれば他店情報もわかるが、そうでなければ、一つひとつの店を巡るわけにもいかない。そういう意味で近距離に同業者が密集して同製品の価格チェックがしやすい秋葉原は、電器店街として顧客に価格比較の利便性を与えて発達していった。
しかしいまは価格.comがある。ここでは価格.comに参加している店舗の情報しか掲載されないので、実際はその他の店舗で、価格.com最低価格より安く手に入ることも多いが、だいたいの相場はわかる。このサイトの場合、同じ型番製品の価格のみが比較されているので、同じものであれば安い方がいいと思うたいていの消費者は重宝する。
同じ型番商品の価格差は、メーカーから安く仕入れ、その他経費を落とすなど小売店の経営努力のたまもの。そういうワケなら、私たちはありがたく最低価格のものを買えばいい。
問題は私たちの身体を傷つけるものの値段だ。ときに命をも落とすおそれがある。たとえば安くてもブレーキが効かないクルマは言語道断。爆発するようなおもちゃやコンピュータもいらない。皮膚に障害を起こすクリームなどもそう。雨漏りする家も精神衛生を考えるとよろしくない。
安い食べ物は危ないのか?
とくに毎日口にする食品は、身近であるぶん注意が必要だ。このコラムの第4回でも触れたが、昨年起こった激安ユッケでの食中毒死亡事件は痛ましかった。ただ、取り扱いが難しい生肉については高いから安全だともいえない。もちろん、安全を担保するために手間をかけて安全対策をするのであれば、手間=人件費であることが多いので、それは確実に高価格になるであろう。
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