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米国はFRB設立にこんなに苦労した

第1回 米連邦準備理事会(FRB)の起源と使命 その2

  • ベン・バーナンキ

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2012年8月1日(水)

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 では、ここからは米国でどのようにして中央銀行が設立に至ったのかを話しましょう。

 1913年、連邦準備法(Federal Reserve Act)が成立し、米国にも1914年、ついに米連邦準備理事会(FRB)が設立されました。

 当時、米議会とウッドロウ・ウィルソン大統領が、「マクロ経済の安定を達成すること」と「金融情勢を安定させること」の両面について問題意識を強めていたことが、FRB創設へとつながっていきました。まず、米国の「金融の安定」という面から当時の様子を説明しましょう。

*米国の第28代大統領で、1913~21年まで連続2期務めた。

 米国には、南北戦争(1861~65年)が終わった後も、1900年代初めまで中央銀行はありませんでした。このため、財務省などでは果たすことのできない「金融情勢を安定化させる」という機能は、民間部門が果たすよりほかありませんでした。当時、民間部門が「最後の貸し手」としての機能を果たそうとする興味深い動きがありました。

民間機関、ニューヨーク・クリアリング・ハウス

 例えば、「ニューヨーク・クリアリング・ハウス」という興味深い例を挙げましょう。ニューヨーク・クリアリング・ハウスは民間の機関で、基本的にニューヨーク市の一般商業銀行の集まりです。クリアリング・ハウス(決済機関)と呼ばれたのは、当初、この機関が、銀行がお互いの勘定を決済する場所だったからです。毎日業務の終わりに集まって、お互いの勘定を相殺することにより、勘定の管理コストを軽減することが目的でした。

ニューヨーク市の一般商業銀行の集まりだったニューヨーク・クリアリング・ハウス

 しかし、時間が経過するとともに、クリアリング・ハウスは中央銀行に似た機能を帯びるようになっていきました。例えば、ある銀行が強い圧力にさらされた時には、ほかの銀行がクリアリング・ハウスに集まってこの銀行に資金を融資し、預金者への払い戻しを行えるようにしていたのです。つまり、クリアリング・ハウスが「最後の貸し手」としての役目を果たしていたわけです。

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