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ボルカー議長によるインフレ退治とグレートモデレーションの到来

第2回講義:第2次大戦後のFRB その2

  • ベン・バーナンキ

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2012年8月8日(水)

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 ポール・ボルカー氏は(1979年8月に)、米連邦準備理事会(FRB)の議長に就任してから数カ月で、インフレ問題に対処するには強硬な政策が必要だとの判断に至りました。そして同年10月、ボルカー氏と米連邦公開市場委員会(FOMC)は、金融政策の運営方法を従来から一変させたのです。ここでどんな手法が用いられ、どう機能したか詳細に説明する必要はありません。基本的に、これによりFRBが金利を大幅に引き下げることが可能になったということを理解しておけば十分です。

ポール・ボルカー議長は就任から数カ月で金融政策の運営手法を一変させた

 周知のように、金利を引き上げれば経済は減速し、インフレ圧力は弱まります。ボルカー議長が言ったように「インフレ・サイクルを断ち切るには、信頼するに足る断固たる金融政策を取らねばなりません」(スライドの写真下のカコミ)。ボルカー議長が政策を発動してから数年でインフレ率は急落しました。1980~83年の間にインフレ率は約12~13%から3%程度にまで低下したのです。

1980年代のインフレ率。ボルカーFRB議長が「信頼に足る断固たる金融政策」を取ったことで、12~13%だったインフレ率は82年には3~4%にまで下がった

金利を引き上げ、インフレは確かに退治したが

 インフレ率がかなり急速に下がり、70年末の問題を解消したという点では、つまり「インフレ封じ込め」という目的からすると、80年代の政策は大成功でした。しかし、何事も“タダ”というわけにはいきません。ボルカー氏の政策の1つは、金利を急速に引き上げることでした。81~82年当時、私は大学院を出たばかりで家を買うことを検討していました。はっきり覚えていませんが、30年物住宅ローンの金利が18.5%だと言われたのです。

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