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金利は経済全体の安定を図るためのもの

第2回講義:第2次大戦後のFRB 質疑応答編

  • ベン・バーナンキ

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2012年8月17日(金)

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学生1第1回の講義で、(1929年に始まって、回復には第2次大戦までかかった)恐慌の時について話されました。当時、引き締め策への転換を急ぎ過ぎたことが2番底をもたらしたとのご説明だったと思います。本日の講義では、70年代は引き締め政策への転換が遅すぎたと話されました。適切な引き締めのタイミングをどう見分ければいいのでしょうか。そもそも適切なタイミングというのはあるのでしょうか、それとも常に変動するのでしょうか。

バーナンキ議長:難しい問題だね。エコノミストが大勢いて、様々な経済モデルが存在するのも、引き締め策や緩和政策に転換するための適切なタイミングを見極めようとしていることが1つの理由です。いずれにせよ、政策転換のタイミングを見極めることは容易ではありません。

金融政策を転換させるタイミングの見極めは難しい

 予測はさほど正確なものではないので、その時々の状況を常に注視して時の経過とともに対応を修正していく必要があります。70年代はインフレ期待がどうなるかはっきりしなかったため、(タイミングを見極めることは)特に大変でした。当時の状況で1つ言えるのは、ガソリンの価格が上がれば、人々はインフレが来るぞ、と予想したということです。ゆえに人々は、物価上昇を相殺するために賃金引き上げを要求しました。賃金上昇は当然、物価上昇を引き起こすという悪循環を招きます。誰もがインフレが進むと思えば、そうした悪循環に陥ることは当然の帰結だったのです。当時、FRBや政府が物価上昇率を低く、安定的に抑えることができるなどと、信じていた人はいませんでした。

 しかし幸運にも情勢は一変しました。(FRB議長を1979~87年まで務めた)ポール・ボルカー氏と(1987~2006年までFRB議長を務めた)アラン・グリーンスパン氏のおかげです。長期にわたる低インフレの時代を経て、今やほとんどの人は、低いインフレ率が安定して続くという安心感を抱いています。ガソリン価格などの変動にもかかわらず、物価安定への安心感は崩れていません。このことは大きな助けになります。インフレが低い水準にとどまれば、FRBにとっては政策の余地が広がるからです。

 こうした状況下では一定期間、金融が緩和されても、必ずしも賃金スパイラルを引き起こし、インフレが深刻になるとは限りません。したがって、インフレ期待を低いレベルで安定させたことは、ボルカー議長とグリーンスパン議長の偉大な功績であり、また世界中の中央銀行の重要な目的なのです。

 時間の経過とともに環境が変化するので、(金融政策を転換するタイミングを見極めることは)難しい。70年代はインフレ期待が激しく揺れ動き、ガソリン価格が及ぼすインフレ圧力がすぐに賃上げ要求や物価上昇に波及するという状況だったため、とりわけ難しかったと言えます。70年代は、その意味ではるかに困難な環境にあったわけです。

学生2:議長が指摘された2000年代初期の低金利政策について、様々な研究が出ています。議長は、低金利が住宅バブルの問題を起こしたわけではないとの結論を出していますが、もし2001年当時、ご自身がFRB議長だったら金利をあれほど低い水準に据え置いていたでしょうか。それは正しい政策だったと考えますか。

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