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“時々行けばいい学校”が教育の大変革を起こすかも

原英史さんと地方自治についてとことん話す【3】

2012年9月27日(木)

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 原英史さんと橘川幸夫さんの対談の3回目のテーマは、教育です。「国家の役割は、いろいろあると思いますが、根本的には教育だと思います」という橘川さんの発言を受けて対談が始まります。
 高度経済成長を支える人材作りのために必要だった教育と、課題先進国といわれる現在の日本に必要な人材を育てるために必要な教育は違うはず、というのがお2人の問題意識です。
 国づくりは、国民一人ひとりの問題です。自分たちが住みたい国の姿を描くのも、住みたい国を作るのも、ほかでもない私たち一人ひとりなのだ、ということをアタマに入れてお読みいただくと、お2人の言葉の重みが増してきます。

:教育が重要であることも、その方向性も賛成なのですが、それは国家じゃないとできないですかね?

原英史(はら・えいじ)
「政策工房」社長。1966年東京都生まれ。東京大学法学部卒、米シカゴ大学ロースクール修了。89年通商産業省(当時)入省。大臣官房企画官、中小企業庁制度審議室長などを経て、国家公務員制度改革推進本部事務局勤務。2009年7月退官。2011年12月大阪府特別顧問、大阪市特別顧問に就任。著書に『官僚のレトリック―霞が関改革はなぜ迷走するのか』『「規制」を変えれば電気も足りる』ほか。

 「国家が国民を育てる」というのは、ナポレオンの頃に確立した仕組みで、プロイセンなんかでも富国強兵のため、18世紀末以降、それまで教会がやっていた教育を国家に移し替えていった。その制度にならったのが、明治5年の「学制」改革です。文部卿の監督下で全国に学校を置く仕組みを作りました。当時は言うまでもなく、近代国家として育成すべき国民像が明確でした。天皇の臣民であり、二宮金次郎ですね。当時は教育は、明らかに国家の役割だったと思うのです。

 しかし、これからの時代で、国家が「あるべき国民像」を示すことができるのか、すべきなのか。それは、別に「郷」でもできるかもしれないし、あるいは、私学がそれぞれの考え方に基づく教育パッケージを示した方が望ましいのかもしれない。また、グローバル化対応という視点で考えれば、むしろ、国単位ではなく国際標準にして、最低限身につけるべき技能や教養の基準を作るべきかもしれない。例えばの話、今僕たちがインドの人たちに囲まれて働いたら、「小学生並みの暗算ができない、頭の弱いやつ」とか思われかねないわけです。

 世界標準―国家―郷土レベルのコミュニティー―個人の選択、といった構造の中で、どこにどういう役割を求めるのか。21世紀仕様の役割分担を考えていく必要があるように思います。

大阪「教育基本条例」の本意はどこにあるか

橘川:ああ、少し言い方がまずかったですね。僕は国家権力や文部科学省が行う教育に期待しているわけではありません。ただ、現実的に子供たちは学校に行ってるので、より良い環境になってほしいとは願っていますが。学校で教えられる教育と、学校では教えられない教育というのがある。今は子供の教育は何でも学校に任せるという風になっていないか、と思います。

 僕は、社会全体が教育的であってほしいと思うのです。一面的な押し付けでは困りますが。かつては、郷もそうですが、地域や家庭に教育があった。商店や工場の中も教育の場だったと思うんですよ。それが、効率とか合理性を追うばかりになって、機能だけのコミュニティーになってしまったと思うんです。教育に必要なのは、教える側の根底に愛情があるかないかだと思うんです。

 僕は出版の世界で生きてきましたが、出版という仕事も本来、社会的な教育を担うものですよね。著者が、それぞれのメッセージを発するものだったが、そういう本はとても少なくなった。

:それは全くそのとおりだと思います。ちなみに、大阪で「教育基本条例」を作ったとき、「知事が教育目標を設定する」という規定を入れて、大問題になりました。これは、僕の理解で言うと、教育の方向を、国が示すのか、地方が示すのか、という問題提起です。つまり、今の仕組みは、教育委員会制度という名のもとに、ぜんぶ文科省が決めている。しかし、実際のところ、どういう国民を育てるのか、という目標設定を文科省がちゃんとできているのか疑わしい。それだったら、地方の住民代表にやらせたらいいじゃないか、と思うのです。それは、もう一歩踏み込めば、橘川さんの言われるように、地域のコミュニティーで教育を担うことにつながると思います。

橘川:文科省的な「期待する人間像」と経済産業省的な「これからの社会に必要な人材像」がズレているというのは、以前から問題になってますね。原くんが言うように、これからは多様な価値観が必要になる世の中だろうから、中央で描くのではなく、地方単位で決めていくというのが必要かもしれない。

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「“時々行けばいい学校”が教育の大変革を起こすかも」の著者

橘川 幸夫

橘川 幸夫(きつかわ・ゆきお)

デジタルメディア研究所代表

1972年、音楽雑誌「ロッキングオン」創刊。78年、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊。その後も、さまざまな参加型メディア開発を行う。現在、阿佐ケ谷アニメストリート商店会会長、未来学会理事などを勤める。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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