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トレーラーハウスに託す夢

旅館を流された女将たち、荒野での第一歩

2013年1月21日(月)

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 下に掲載した2枚の写真は、宮城県女川町の最も繁華な市街地だった場所を、ほぼ同じ位置から撮影したものである。1枚目は東日本大震災から1カ月半後の2011年4月30日。2枚目は昨年12月12日だ。

撮影:村上昭浩

 女川町は牡鹿半島の付け根に位置する。女川湾が陸地に細く深く入り込んでいることと、山が海に迫り、平地部分が少ない独特の地形が影響し、沖から迫った津波が増幅されて高さを増し、壊滅的な打撃を受けた。2011年3月11日の夕刻から20メートル以上の高さに及ぶ津波は3波に渡って町に迫り、建物の8割を流出させ、1万人の人口の約1割が命を奪われた。

旅館と両親を津波で失う

 1枚目の写真でもわかるとおり、市街地は破壊され、がれきは40万トンを超えたという。それから1年9カ月。2枚目の写真では、海辺に僅かに残っていたショッピングセンターなどの高い建物もすべて取り壊された。東京都ががれきを受け入れたことも功を奏し、がれき処理を8割がた終了し、平地には何事もなかったように雑草が生い茂る空き地になっている。

 写真の中央左、港から斜めに向かってくる、かつての目抜き通りに面してL字型の礎石が残っているのが見えるだろうか。このあたりにかつて「奈々美や」という旅館があった。両親と一緒に旅館を切り盛りしていた佐々木里子さん(44)が現地を案内してくれた。

 「こんなに普通に雑草が生えてしまうと、本当に最初から何もなかったように感じられてしまって、どうしようもなく悲しくなります」

 震災前、奈々美やは、町にあったほかの11の旅館と同様に繁盛していた。女川原子力発電所に定期点検などで訪れるプラント作業員や、町が積極的に誘致してきたスポーツイベントの来場者などで、「常時7~8割は安定して稼働していた」(佐々木さん)という。

 佐々木さんは震災で旅館だけでなく、両親も亡くした。

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「トレーラーハウスに託す夢」の著者

小板橋太郎

小板橋太郎(こいたばし・たろう)

前日経ビジネス編集委員兼副編集長

1991年立教大学文学部史学科卒、日本経済新聞社入社。整理部、社会部、産業部などを経て2011年から日経ビジネス編集委員。現在は日本経済新聞社企画報道部デスク

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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