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“日本人”になった、ある中国人の思いとこれから

2013年3月26日(火)

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 今年1月、黄明遠(仮名、30歳)は官報に載った自分の名前を発見して、中国に住む両親への報告を済ませたあと、すぐに私にもそのことを知らせるメールを送ってくれた。日本への帰化が許可されたことを知らせる“第一報”だった。

「やはり少し、感慨深いものはありましたね……」

 喜びをつとめて抑え、淡々と話そうとする黄と久しぶりに会ったのは2月下旬。官報に載ってから1カ月後、海外で行われる友人の結婚式に列席するため、「日本人」としてパスポートを取ろうとする前夜だった。

 黄はさわやかな外見で、達者な日本語を操るビジネスマン。ここで会社名や本名を明かすことはできないが、自身の中国語名から漢字を取り、自ら日本名をつけたという。

 2002年に来日してから丸11年。昨年4月に初めて地元の法務局に電話をかけて相談し、6月に帰化申請し、今年1月末に日本国籍を取得した。就職してまだ5年目だから、通常よりかなり早い帰化である。黄は独身で、結婚が理由ではない。なぜそんなに急いで帰化を目指し、「日本人」になりたかったのか。「やっぱり自分は日本が好きなんです」と言ってくれたが、背景には黄が歩んできた壮絶な過去も関係している。

 今や日本に帰化する外国人は毎年1万人以上に上る。そのうち中国人は3割以上を占める。本連載の登場人物同様、黄も珍しい存在ではない普通の人、そうした多数の帰化者のひとりに過ぎない。今日はそんな“平凡”な黄が中国で送ってきた半生と、国籍取得に関わる手続きについて紹介したい。

法輪功事件がきっかけ

「天津の港から日本に出発する船が出るとき、涙があふれて仕方がなかったことを今も昨日のことのように覚えています」

 18歳になるとき、黄は実家から遠い港から日本行きの船に乗った。見送ってくれた両親も涙、自分も涙の別れだったという。他の人はみんなうれしそうに船から精いっぱい手を振っているのに、自分だけ涙で前が見えないほどだった。

 出発の少し前、伯母からは「中国にいたらお前はダメになる。だからお前だけでも日本に行くんだよ。いいね。どんなに苦しくても、もう中国には帰ってきちゃだめだよ」ときっぱり言い渡されていた。

 伯母はなぜまだ若い黄にそんなに厳しい言葉を送ったのだろうか? その理由は黄の家庭にあった。両親が法輪功の活動に参加していて、母が逮捕されるという“事件”があったからだ。

 読者の中に法輪功をご存知の方はどれくらいいるだろうか。法輪功は1990年代前半にできた中国の気功法とも、新興宗教ともいわれており、90年代後半に中国全土に急速に広まった。政府は爆発的に増えた信者が中国共産党を脅かす存在になるのではないかと恐れ、カルト集団とみなして激しく弾圧した。中国では89年の天安門事件以降、社会が不安定化し、さまざまな宗教が人々の心を掴んだといわれているが、法輪功はその代表的なもののひとつといえる。当時、弾圧によって死亡した人も少なくない。

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「“日本人”になった、ある中国人の思いとこれから」の著者

中島 恵

中島 恵(なかじま・けい)

ジャーナリスト

1967年、山梨県生まれ。1990年、日刊工業新聞社に入社。退職後、香港中文大学に留学。1996年より、中国、台湾、香港、東南アジアのビジネス事情、社会事情などを執筆している。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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