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実は開戦奇襲に失敗していた日本海軍

2013年4月16日(火)

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 この連載では、日露戦争についてあなたが持っている“常識”をくつがえします。
 旅順要塞に無謀な白兵突撃を繰り返した、乃木希典率いる第三軍司令部は無能だった。騎兵戦力ではロシア軍が圧倒的に優勢だった。日本海海戦において、日本 海軍はバルチック艦隊を全滅させ、奇跡的な勝利を収めた。--といった“常識”とは違う日露戦争の姿をお伝えします。
 日露戦争の実相の中には、現代のビジネスに役立つ珠玉の教訓が豊富に。初回は仁川沖海戦を取り上げます。(編集部)

[一般のイメージ] 日本海軍は、開戦早々の仁川沖海戦でロシア巡洋艦「ワリヤーグ」を撃沈し、初戦に快勝した。←日本海軍は、開戦と同時に敵本拠地の旅順港を奇襲する作戦に期待をかけていたが、十分な戦果をあげることはできなかった。

 日本は1904年2月4日の御前会議でロシアとの開戦を決定し、同6日に連合艦隊が佐世保港を出撃した。そして同9日、仁川(朝鮮の首都京城の近郊に位置する海港。日本で言えば横浜に相当)に配置されていたロシア艦「ワリヤーグ」と「コレーツ」を攻撃した。

仁川沖海戦の勝利

 「ワリヤーグ」は1901年に竣工した巡洋艦(排水量6500トン)で、武装は15センチ砲12門であった。もう1隻の「コレーツ」は、沿岸や河川などの浅水域で活動する砲艦(排水量1200トン)で、武装は15センチ砲3門にとどまった。

 それに対して日本側は、「浅間」以下5隻の巡洋艦を投入した。「浅間」は排水量9700トンの大型艦で、武装は20センチ砲4門、15センチ砲14門と強力であった。残りの4隻は、排水量2400~3700トンと比較的小型だが、合わせて24門もの15センチ砲を搭載していた。つまり、戦力の面で日本側は圧倒的に優勢だったわけだ。

 実際の戦闘結果も、まさに戦力差のとおりとなった。仁川港外での砲戦で散々に叩きのめされたロシアの2艦は自沈を余儀なくされた。

 「ワリヤーグ」は2万馬力の強力な機関を搭載(当時最新鋭の「ボロジノ」型戦艦でも1万6000馬力)し、最大速力は23ノットに達した。こうした高速巡洋艦は様々な任務に活用できるため、日本にとっては非常に厄介な存在である。それを開戦早々に撃沈した意義は小さくない。しかし、日本海軍にしてみれば、この仁川沖海戦はあくまで「脇役」という位置づけであった。

目標はロシア戦艦

 開戦当時、ロシア海軍の太平洋艦隊は、7隻の戦艦――「ペトロパウロフスク」「ツェサレーヴィチ」「レトヴィザン」「セヴァーストポリ」「ポルタワ」「ペレスヴェート」「ポベーダ」――をはじめとして、約19万トンもの艦船を保有していた。戦力的には、日本側の戦艦6隻、総計約23万トンとほぼ同等である。

 ロシア側は、この太平洋艦隊以外にもバルト海方面に強力な艦隊を保有していた。日本側としては、このバルチック艦隊が極東に到着する前に、太平洋艦隊を殲滅しなければならない。そのための秘策が、開戦と同時に奇襲攻撃を仕掛けることだった。

 ロシア太平洋艦隊は旅順とウラジオストックの2カ所を根拠地としていたが、その主力である7隻の戦艦は、すべて旅順港に配置されていた。2月9日午前0時20分、日本の第1~第3駆逐隊(各隊は駆逐艦3~4隻で構成される)が旅順港を夜襲した。

 この夜のロシア艦隊は油断しきっていた。戦艦部隊は、敵艦の侵入が難しい港内ではなく港外に停泊しており、敵の魚雷攻撃を防ぐための防雷網も設置していなかった。ロシア側の哨戒艦が日本の駆逐艦を発見したが、「疑わしきものを発見した場合でも、射撃せずに戻って報告せよ」という命令を受けていたので発砲しなかった。そのため、ロシア側は襲撃に気付くのが遅れ、日本駆逐艦は反撃をほとんど受けることなく18本の魚雷を発射した。

 しかし、その戦果は華々しいものではなく、敵戦艦「ツェサレーヴィチ」と「レトヴィザン」を航行不能にしただけであった。ちなみに、この両戦艦は船体に穴が開いたが、ロシア側は港内の浅瀬に座礁させて沈没を防ぎ、2カ月後には戦列に復帰させている。

 夜が明けてから、日本側は巡洋艦部隊を旅順港外に接近させ、敵艦隊を洋上に誘い出そうとしたが、ロシア側は動こうとしなかった。そこで今度は、戦艦部隊が進出して遠距離から砲戦を挑んだ。ところがロシア戦艦や旅順要塞の砲台から激しい反撃を受け、らちが明かずに撤退した。

 日本側としては、この開戦奇襲作戦で少なくとも2~3隻の敵戦艦を沈めたかったところであり、残念な結果に終わった。その後の日本海軍の苦戦は、この失敗に起因する。

コメント4件コメント/レビュー

当時のロシアが極東だけでなくヨーロッパ側にも度々ちょっかい出していた事を考えれば、「領土欲が旺盛」という言い方は別に情緒的に過ぎる言葉とも思えないです。その言葉の中に、「酷寒の地にあるロシアが数々の不便を解消する為に南下したがる」という普通の事は包含されると思いますから。 でも、日露戦争の緒戦でトチってたというのは面白いお話でしたので、今後も続いて欲しいです。 出来れば、太平洋戦争を主張した陸軍の面々の愚かさと、敗戦後は唯一検証せずにダンマリ決め込んだ辺りまで。 (2013/04/16)

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「実は開戦奇襲に失敗していた日本海軍」の著者

樋口 晴彦

樋口 晴彦(ひぐち・はるひこ)

警察大学校教授

危機管理、リスク管理に関して広い知見を有し、特に企業不祥事の研究では第一人者。また、戦国時代、日清・日露戦争、第二次世界大戦などの戦史をマネジメントの観点から分析。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

当時のロシアが極東だけでなくヨーロッパ側にも度々ちょっかい出していた事を考えれば、「領土欲が旺盛」という言い方は別に情緒的に過ぎる言葉とも思えないです。その言葉の中に、「酷寒の地にあるロシアが数々の不便を解消する為に南下したがる」という普通の事は包含されると思いますから。 でも、日露戦争の緒戦でトチってたというのは面白いお話でしたので、今後も続いて欲しいです。 出来れば、太平洋戦争を主張した陸軍の面々の愚かさと、敗戦後は唯一検証せずにダンマリ決め込んだ辺りまで。 (2013/04/16)

1番目のコメントに賛意。内容に興味あったので、事実に基づく記事だけで良かったと感じます。日本海軍(陸軍も同じ)が失敗を隠したり、転嫁するのは太平洋戦争まで続くのですね。戦後の自衛隊創世記には旧軍の旧幾を受けた士官が指導者なのですが、嘘つきの伝統が残っていないか検証してください。(2013/04/16)

ロシア民族の本能的な領土欲は1860年に対馬を占領したことでも明かで、だからこそ目と鼻の先の朝鮮半島に軍港を持たれたらかなわないと当時の日本人が考えたのではないのでしょうか?そもそもウラジオストックとは「東方を征服せよ」の意味では?(2013/04/16)

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後藤 忠治 セントラルスポーツ会長