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背番号3のショータイム

2013年5月9日(木)

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 背番号3と背番号55が国民栄誉賞を受賞し、どこから来たのか黄金バットをもらっていた。

 国民栄誉賞と聞くと、なんとなく語感から「おはよう!こどもショー」を連想してしまう私だが、ロバくんの中に入っていたのは愛川欽也で、ガマ親分の中に入っていたのは加藤精三だ。声を担当した星一徹は長嶋と同じく栄光ある読売巨人軍の三塁手である。

 当日、及びその前後の盛りあがりは、国民栄誉賞というより国民栄誉ショーといったほうがふさわしかった。

 いや、授賞を揶揄しようというのではない。
 やれ、手塚治虫や誰それがもらっていないのはおかしいとか、政権の人気浮揚が目的とか、毎回物議をかもすけれども、そもそも、なんであれ賞というのは贈る側のためにあるものだ。

 したがって今回も、贈る側はあまり讃えたくもないが、受賞者の二人に対しては、ひねくれ者の私も心から素直に敬意を払うものである。

 このW授賞も含めて、近年なにかとセットで語られることの多いこの師弟だが、今回は背番号3にしぼって話をしよう。

 我々より少し上の、いわゆる団塊の世代にとって、美空ひばりと石原裕次郎と手塚治虫と、そして長嶋茂雄は、まさしく神にも等しい偉大な偶像であり、同時に昭和後半の高度成長期を象徴するアイコンでもあった。

 しかし、私が物心ついてTVや映画やマンガやスポーツを見始めた1960年代の半ば、彼らはもちろんまだ現役ではあったが、その最盛期はちょっと過ぎていた。

 ひばりは「真赤な太陽」と「柔」は強烈に覚えているが、その後諸事情からTVではだんだん歌えなくなっていたし、裕次郎は独立プロ経営のむずかしさからTVシリーズにシフトする直前だった。そして、長嶋よりは王貞治の「記録」のほうが子供にはわかりやすかった。

 やや、ませたマンガ少年だったので、手塚治虫は個人的に別格であり続けたが、多くの同世代の読者にとっては、マンガは弟子筋のトキワ荘グループや劇画の時代であり、当の手塚も苦悩していた時期だった。

 ひばりと裕次郎と手塚治虫は、奇しくもほぼ昭和の終わりとともにこの世を去った。

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「背番号3のショータイム」の著者

とり・みき

とり・みき(とりみき)

マンガ家

熊本県出身。ギャグマンガをメインにしながら、エッセイコミックやストーリー物も手がける。94年『DAI-HONYA』98年『SF大将』で星雲賞、95年『遠くへいきたい』で文春漫画賞を受賞。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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