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倭寇が東アジア経済圏を築いた

中世日本と海~元寇と倭寇

2013年5月30日(木)

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 今回は、中世日本で武家社会が成立する中で海がどのような役割を果たしたのか考えたい。

 古代日本は玄界灘を通じて大陸とつながっており、瀬戸内海を通る海上交通路が国家の形成においても国内を統治する上でも重要であった(前回コラム「シーパワーを欠いたにも関わらず幸運だった古代日本」参照)。もちろん、蝦夷(えみし:アイヌを意味する場合は「えぞ」と読むことが多い)と呼ばれた現在の東北地方を制圧する過程の中で、日本海沿岸に勢力を築いた阿倍氏などは環日本海経済圏に組み込まれていたと考えられる。だが、その実態の解明には史料に基づいた研究がさらに必要である。

 日本が中世を迎えるに当たっても、瀬戸内海の制海権の行方が権力闘争を大きく左右した。平清盛は父の忠盛から継承した瀬戸内海沿岸の勢力を背景に、既存の国家組織の中で官職を独占することによって専制的な平氏政権を打ち立てた。清盛は航路や港湾を整備して宋(南宋)との貿易に力を入れた。日本からは金・水銀・木材・米・漆器などを輸出し、宋からは陶磁器・絹織物・香料・薬品・書籍・銭を輸入した。

 貿易の利潤は、平氏政権の重要な経済基盤となった。また、宋船がもたらした宋銭や書籍は日本の経済や文化に大きな影響を与えた。特に宋銭は、南宋がその流出を懸念するほど大量に日本に流れ込み、日本国内に貨幣経済が浸透した。

 しかし、驕る平氏は久しからず、である。平氏の支配は、そこから排除された旧勢力の反発を招いた。各地で反平氏の動きが表面化。平治の乱で伊豆に流されていた源頼朝も挙兵し、源氏にゆかりの深い鎌倉を根拠地として東国に巨大な勢力を打ち立てた。鎌倉は東国の経営にはうってつけだった。三方を丘陵に囲まれており、南は海に臨む。東海道の陸路と三浦半島から房総半島にかけての海路をつなぐ要衝でもあった。頼朝が伊豆、三浦、房総の水軍を味方につけたことで、鎌倉の守りは海からの攻撃にも盤石だった。

 源平の命運をかけた合戦の最後の舞台となったのは、やはり瀬戸内海だった。源氏は陸上戦力が中心であったが、源義経が平氏の基盤であった紀伊・四国の水軍を従えた。彼らの力を使って、平氏を壇ノ浦に追い詰めた。

 壇ノ浦決戦は、西海(九州)水軍と南海(紀伊・四国)水軍の対決という構図で、紀伊を拠点とする熊野水軍や、伊予を拠点とする河野水軍が源氏側に回ったことが勝敗を決した。こうして、平氏一門は関門海峡の海に没したのである。

 壇ノ浦の戦いでなぜ平氏が負けたのかはよくわかっていない。長年、平氏側に有利だった潮流の流れが、後に源氏側に有利に変わったためとされてきた。だが、潮流説を否定する研究もある。菱沼一憲氏は、源氏側が瀬戸内海の制海権を掌握していたため、平氏側は十分な補給を受けられず、退路も断たれたとしている。説得力のある見方である。

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「倭寇が東アジア経済圏を築いた」の著者

小谷 哲男

小谷 哲男(こたに・てつお)

日本国際問題研究所研究員

同志社大学法学研究科博士課程単位取得退学、岡崎研究所等を経て、2012年4月から日本国際問題研究所研究員。日米関係と海洋安全保障問題を専門とする。「海の国政政治学」の確立に向けて奮闘中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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