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「警戒解除」から1年、変わらない町

ボランティアの定点観測で見えてきた現実

2013年6月11日(火)

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 私がボランティアに参加するため、初めて福島県南相馬市に赴いたのは、東日本大震災から1年と少し経った昨年6月23日のことだった。

 福島第1原子力発電所20km圏内一律に設定されていた警戒区域が、ちょうどその2カ月ほど前から再編成が始まっていた。バリケードの設置や警察官の配置で、厳しく出入りを制限されていた「警戒区域」を、3つの区域に再編成し、より柔軟に出入りをできるよう、制限を緩和した。

 4月1日に再編を実施した福島県田村市、川内村を皮切りに南相馬市では同16日に再編を実施。南相馬市は福島第1原発の北に広がる市で、市の面積の南側に警戒区域を有していた。再編後、3区域の中でも立ち入り制限が最も緩い「避難指示解除準備区域」の地域を中心にボランティア活動が開始されると聞き、参加することにしたのだ。

旧警戒区域の南相馬へ

 南相馬市のボランティアセンターで指示を受けた作業は、南相馬市の小高区にある住居の掃除だった。小高は沿岸部から2kmほどの場所にあり、地震と津波の両方の影響を受けた場所。福島第1原発からは20Km弱の距離にある。町は震災以来時計の針が止まり、壊れた建物はそのまま、人が通らないコンクリートの道には雑草が大量に生えていた。駅の自転車置き場には、戻ってこない持ち主を待って、当時のまま自転車がずらりと並んでいた。

家々は震災当時のまま(左)。一時帰宅で戻ってきた店主が喫茶店に書いた「必ず戻ってきます」の看板(右)

 指定された家に行くと60代の夫婦が迎え入れてくれた。2人の指示のもと、浸水した1Fの床をはがし、泥だらけの家具を外に出した。泥をかぶりつつも原型を残していた風呂場は、ぴかぴかになるまで磨いた。男性ボランティア30人と、女性は私を含めて2人。1日がかりでやった清掃も半分程度しか終えることしかできなかった。上下水道が整備されていない地区で、ペットボトルの水を少しずつ使いながら行う掃除には限界があった。続きは次の日また別のボランティアが来てやるということだった。

 時々笑いを交えながらそれまでの1年を振り返る奥さんとは対照的に、旦那さんは次々に運び出される家具や、はがされる床を見て言葉少なだった。

コメント1件コメント/レビュー

私の母の故郷は帰宅困難地域になり、震災後に発覚した病気で亡くなった、母の遺骨を納めに行く事もできません。母の親戚は散り散りになり、皆が揃って顔を合わせるのは、無事生き残った親戚が、一人ひとり亡くなっていく法事くらいしかないんです。多かれ少なかれ、原発事故被災地域の方々は同じような悲しみを背負っているはずです。“変わらない”ではないのです。“変われなくなってしまった”のです。人がいて、そこで生活を営んで、子を産み、脈々と人の営みが続くからこそ町になる。人がいない町が変わりようがありません。帰宅困難地域になった町は実質的に消滅してしまうでしょう。しかしそこで暮らしていた人たちがいる。そこに 墓を立てて祀られた人たちがいる。それを忘れないでほしい。私としては、一緒に悲しんで欲しいわけではありません。ただ、将来に渡ってこれほど大きく深い傷を残した、この事態を引き起こしたのは何なのか。今後もその技術と生きていく覚悟があるのか。それらから目を背けず、常に向かい合っていって欲しいし、私自身も向かい合っていかなければならない。今思い出しても、やり場がなく、どんな言葉でも表現できない感情に捕らわれながら、改めてこの事態を受け止める記事でした。(2013/06/11)

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「「警戒解除」から1年、変わらない町」の著者

染原 睦美

染原 睦美(そめはら・むつみ)

日経ビジネス記者

日経パソコン、日経ウーマンオンラインを経て、2013年4月から日経ビジネス記者。IT担当などを経て、日用品・化粧品担当。趣味は洗濯、昼酒、ピクニック。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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私の母の故郷は帰宅困難地域になり、震災後に発覚した病気で亡くなった、母の遺骨を納めに行く事もできません。母の親戚は散り散りになり、皆が揃って顔を合わせるのは、無事生き残った親戚が、一人ひとり亡くなっていく法事くらいしかないんです。多かれ少なかれ、原発事故被災地域の方々は同じような悲しみを背負っているはずです。“変わらない”ではないのです。“変われなくなってしまった”のです。人がいて、そこで生活を営んで、子を産み、脈々と人の営みが続くからこそ町になる。人がいない町が変わりようがありません。帰宅困難地域になった町は実質的に消滅してしまうでしょう。しかしそこで暮らしていた人たちがいる。そこに 墓を立てて祀られた人たちがいる。それを忘れないでほしい。私としては、一緒に悲しんで欲しいわけではありません。ただ、将来に渡ってこれほど大きく深い傷を残した、この事態を引き起こしたのは何なのか。今後もその技術と生きていく覚悟があるのか。それらから目を背けず、常に向かい合っていって欲しいし、私自身も向かい合っていかなければならない。今思い出しても、やり場がなく、どんな言葉でも表現できない感情に捕らわれながら、改めてこの事態を受け止める記事でした。(2013/06/11)

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