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のたうち回った稲盛和夫

リーダーたらんと自ら努力してなったリーダー

2013年7月22日(月)

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 稲盛和夫は疑いも無くカリスマである。その行動を見ると、度胸があり大胆である。しかし矛盾しているように思えるかもしれないが、「怖がり屋」の一面がある。経営者として成功を重ねられたのは、恐れを知る大胆さによるのではないか。

 「経営は、のたうつものである」と稲盛は言っている。企業を経営すれば、もがき苦しむのは当たり前で、安直に業績を伸ばす方法はないというのである。

 しかし異論もあるだろう。ファインセラミックスという有望な新技術をいち早く確立したから、京セラは驚異的な成長を遂げた。第二電電(現KDDI)も通信自由化の波に乗ったおかげで、うまくいった。日本航空の再建も、会社更生法によって銀行からの債務の大幅カットや不採算路線からの撤退などができたからである。稲盛でなければ、できなかったのか。

 こうした見方にも一理ある。ただし、すべて後講釈にすぎない。何事も結果だけを見れば、簡単にできそうに思えるものだ。運がよければ、一回くらいは望外の成功を収められるかもしれないが、持続するのは難しい。

「信長という人はあまり好きではない」

 果敢なベンチャー精神や強いリーダーシップから、稲盛は戦国武将で言えば、織田信長タイプに見える。しかし本人は「信長という人はあまり好きではない」と言う。「周りの人からは、積極的な経営によって京セラを急成長させたので信長的に見えるのでしょう。しかし昔、私は石橋をたたいて、借金を返しながらやってきたんですよ」

 勤めていた松風工業を27歳で飛び出して京都セラミツク(現京セラ)を創業する時、親身に支援してくれた西枝一江という人物がいる。京都の配電盤メーカー宮木電機の専務で、同社の宮木男也社長らとともに出資して最初の資本金300万円を作ってくれた。

 カネの無い稲盛は技術出資の形で株を持たせてもらった。創業のためにさらに1000万円を銀行から借りて、その保証に西枝は自宅を担保に差し出してくれた。懸命に働いた結果、最初の年から黒字が出た。稲盛は一刻も早く借金を返したいが、会社を成長させるには借金をゼロにできない。

 この悩みを西枝に話したら、笑われた。「何を言っているんですか。会社は借金をしながら伸びていくものですよ。カネを借りて金利を払い、その借金は長期で返せばいいんです。あなたのように考えていては、優れた技術者であっても、よい経営者にはなれませんよ」

 それでも借金を返したいという気持ちは変わらず、1971年に創業から12年で株式を上場した時には、実質無借金になっていた。業績は順調に伸びていたわけだが、心配性の稲盛はしばらくの間、「いつ潰れるかもしれないという強迫観念が常にあった」という。

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「のたうち回った稲盛和夫」の著者

森 一夫

森 一夫(もり・かずお)

ジャーナリスト

1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、特別編集委員兼論説委員を歴任。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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