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79年革命に道を阻まれたイランの音楽

2013年8月26日(月)

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 イラン人は音楽とダンスが大好きです。楽器やCDプレイヤーがあればすぐに盛り上がります。楽器はなくても構いません。机や容器など、手元にあるものを叩き、皆で一緒に歌を歌うことで雰囲気を盛り上げます。どんな狭い場所でもクラブの雰囲気に変えてしまうのです。

 静かな雰囲気に馴染んでいる日本人にとってはうるさいものかもしれません。ですが、お酒を飲まなくても陽気になることができるイラン人にとって最高の瞬間です。

 イラン人は音楽やダンスがこんなに好きなのに、世界的に知られている歌手やダンサーの数は多くありません。これは、政府が厳しく規制しているからです。政府の中には「音楽を飲酒や豚肉食と同様に、神に反する行為である」と考える人たちがいます。

 イランのポップ音楽は1970年代に誕生し、その市場は急速に成長しました。この時代にイランの若い歌手は、国内だけでなく、トルコやヨーロッパでも活躍するようになりました。英語の歌を歌い、アメリカのスポンサーに支えられ、アメリカ音楽市場に出るきっかけも手にしました。しかし、79年の革命により、イスラム聖職者が音楽を禁止し、多くの若者の夢は泡となって消えてしまいました。

 若者の夢をついばんだのは、イスラム聖職者の判断だけではありません。革命で盛り上がった当時のイランでは、音楽家たちは命を失う恐れがありました。革命を担い、新たな政府の下で権力を持った活動家たちは、前政権の時代に活躍していた歌手や音楽家たちを「国王の味方」だと疑いました。活動家たちはさらに、キャバレーやクラブで公演する音楽家たちはイランの若者に好ましくない影響を与えたと思い込んでいました。「神様の敵として裁くべきだ」と信じていたのです。

 このため、多くの有力な音楽家たちは革命が起こるとほぼ同時にイランを発ち、アメリカやヨーロッパに移民せざるを得ませんでした。音楽家たちの中には共産主義の考え方を持つ人もいました。彼らは、当然のことながら、新しいイランで活躍することはできませんでした。

革命で音楽は全面禁止に

 革命を成就させたホメイニ最高指導者(当時)は、音楽を「ハラーム」とみなしました。イスラムで「ハラーム」は、「神様が禁止」している行動や物を指します。豚肉やお酒をはじめ、異性との接触まで幅広い物事を含み、この禁を破った者は地獄に落ちると言われています。ハラームの範囲は時代の流れに従って変化します。例えば、フェイスブックも現在、ハラームに指定されています。ホメイニ師の決定を受け、イランの若い音楽家たちは絶望に直面しました。

 ホメイニ師は81年に、音楽の一部について扱いを「ハラル(聞いても構わない)」に変更しました。これを受け禁止令は解かれましたが、政府による厳しい規制は残りました。例えば、ダンス向けのリズム、愛や異性をテーマにした歌詞を持つ楽曲は、作ることも、歌う・演奏することも、聞くことも許されませんでした。

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「79年革命に道を阻まれたイランの音楽」の著者

サイードレザ

サイードレザ(えってはでぃー・さいーどれざ)

コラムニスト・翻訳者

イラン生まれ。テヘラン大学外国語学部日本語学科卒業。韓国のインハ大学院政治・国際関係を専攻。現在、東アジアを中心にイランの通信ネットワークにて記事を寄稿。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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