• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

男子よりも飛んでいた。なのに大会には出られなかった

レッスン2「女子スキージャンプの歴史、パイオニアの試練」

2014年2月6日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

レッスン1から続く

インタビューを受ける機会が増えたと思います。どんな質問が多いのでしょう。

山田いずみ

山田:現役の時から受けてはいましたけど、最近は特に多いです。内容は女子ジャンプ界がこれまでどうやってきたのか、という経緯の話。私が経験してきたことがそのまま日本の女子ジャンプの歴史なので、どうしても自分についてしゃべることになります。それから、髙梨沙羅について。コーチとしてどう見ているかという話ですね。

では。山田さんはそもそもどうしたきっかけで始められたんですか。昔から女子スキージャンプはあったんですか。

山田:私は1978年の札幌生まれ、父親はアルペン競技の選手だったんです。だから、歩き始めたころからアルペンの板には乗って遊ばされていたんです。

 そして、小学校に上がる前に近所で「スキージャンプ少年団」に入っている子がいて、その子に誘われてジャンプ台に見にいったのがきっかけです。始めたのは小学校1年生(1985年)の頃です。当時は、女子の競技自体はなかったと思います。

スクールはあったんですか。

山田:中学校までは「ジャンプ少年団」というのが各地にあって、そこに入団し所属して飛ぶのが普通だったんです。

 私は「札幌ジャンプスポーツ少年団」に入団していました。少年団です。当時は私を含めて3人ぐらいしか女の子がいなかったと思います。年上では5、6才上のお姉さんがやっていましたけど、たぶん男のスポーツみたいな感じだったんじゃないですかね。その子たちも中学校に上がる前とか中学校に入ってから辞めてしまって、最終的には私1人になったんです。当時は、女子の大会とかはなくて、仕方なく男子に交じって大会に出場していました。

男子と一緒にやっていたんですか。

山田:そうです、男子に交じって飛んでいました。小学校、中学校はそうですね。ただ、参加できない大会も多かったんです。例えば、「中体連」((公財)日本中学校体育連盟 )などが主催する中学校の体育大会には参加できなかった。そもそも「女子の部」がなかった大会もありますから。

 あと、札幌市の大会だけは出させてもらえたんですが、全道大会とか全国大会までは、出場は認められていませんでしたね。

コメント1

「女子スキージャンプ・高梨沙羅の育て方」のバックナンバー

一覧

「男子よりも飛んでいた。なのに大会には出られなかった」の著者

萬屋五兵衛

萬屋五兵衛(じゅうだいめ・よろずやごへい)

フリーライター

音楽業界にてヒットを多数経験後、飲食開発企業に転職。様々な新規事業に従事した後、業種業態の枠を超え自由な発想でボーダレスに仕事をする「現代版よろずや」をコンセプトに多業種のプロジェクトに携わっている。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トップ自らが矢面に立つことで、問題は次第に収束していきました。

佐々木 眞一 日本科学技術連盟理事長、トヨタ自動車顧問・技監