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「公正」精神貫くYKK吉田忠裕会長

「事業は社会のもので、個人や家族のものではない」

2014年7月24日(木)

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吉田忠裕・YKK代表取締役会長CEO(写真:中村豊、以下同)

 YKKといえばファスナーで世界1のメーカー。YKK APについては「窓」のテレビCMを思い浮かべる人もいるだろう。吉田忠裕(67)はその両社の代表取締役会長CEO(最高経営責任者)である。先代はカリスマ経営者として知られた父親の故吉田忠雄だ。吉田は二世経営者ではあるが、父親とは異なるプロの経営者として独自の経営を貫いてきた。

社名から「吉田」を取った意味

 創業者、吉田忠雄は1986年、脳血栓で倒れた。後遺症があったが、車椅子で出勤し続け、社長のまま93年7月3日、84歳で他界した。社長代行を務めていた副社長の忠裕は46歳で社長に昇格した。翌94年8月に社名を、吉田工業からYKK株式会社に変えた。社名変更は単に社名をブランドに統一するのが狙いではなかった。経営者としての吉田のあるメッセージが込められていた。

 「社名から吉田を取るまで、この会社を引っ張っていたのは、吉田という苗字の付いた人のパワーでした」。吉田忠裕の述懐である。「『吉田』を社名から外そうとは社員はなかなか言えないでしょう。だから私が消したのです」。「事業は社会のもので、個人や家族のものではない」との考え方による。これは吉田忠雄も同じだが、「社長」を息子も含めて人に譲ることはまるで念頭になかった。在任中に亡くなったことがそれを示している。

 吉田には娘がいるが、会社とは関係ない。昔、父の忠雄が親しくしていた米国のカーター元大統領から「なぜ娘を会社に入れないのか」と尋ねられたこともある。YKKをファミリー企業だと思えば、当然の疑問だ。吉田ははっきりしている。「子どもに継がせようという発想は全くありません。社名を変えた時から一貫しています」。

先代を超えようという気持ちは「全然ないです」

 「会長」職を新たに設けて、「社長」を吉田家と関係のない生え抜きの人材に譲ったのは、吉田ならではの流儀といえる。「吉田忠雄は生涯、社長で通したわけなので、会長職を評価していませんでした。ですから、うちには会長のモデルがないんですよ」と、吉田は笑う。

 別に偉大な父親に張り合っているのではない。別人格であり、時代も変わっているのだから、違う経営を目指すのは当たり前と思っているようだ。先代を超えようという気持ちは無かったのかと尋ねたら、答が振るっている。「全然ないです。対立はいつもありましたけど」だ。創業者の吉田忠雄は生まれながらにして経営者といえる。吉田忠裕はプロたらんと自ら律して、異なる道を行くということなのだろう。

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「「公正」精神貫くYKK吉田忠裕会長」の著者

森 一夫

森 一夫(もり・かずお)

ジャーナリスト

1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、特別編集委員兼論説委員を歴任。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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三品 和広 神戸大学教授