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“流通王”中内功が唱えた「落日」論への異議

総合スーパーは死んだわけではない

  • 日経ビジネス編集部

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2014年9月2日(火)

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日経ビジネスはこの9月に創刊45周年を迎えた。それを記念し、世相を彩ってきた“時代の寵児”20人を選び、彼らへのインタビュー記事を再掲する。それぞれの“肉声”から、今にも通じる様々な教訓を読み取れるだろう。

(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。

2000年5月8日号より

(注)中内功の「功」は正しくは「工偏に刀」です。ウェブ上で表記できない可能性があるため、「功」にて代用しています。

元気な専門店、コンビニは元来ダイエーが目指してきたもの。
バブル期に肥大化して「疑似百貨店」になったのが低迷の原因。
従業員の教育を強化し、価格を下げる努力で必ず復活する。
創業時の理念達成は道半ば。オーナーに「引退」なし。

(聞き手は本誌編集長、小林 収)

ダイエーも最初はユニクロだった

中内 功(なかうち・いさお)
1922年8月兵庫県生まれ、77歳。41年12月、神戸高等商業学校(現神戸商科大学)卒業。57年4月、大栄薬品工業(現ダイエー)を設立し、社長に就任。82年5月ダイエー会長兼社長。99年1月鳥羽董氏の社長就任に伴い会長に。90年12月から95年5月まで経団連副会長。

 今、総合スーパーは元気がありませんけど、ユニクロとかマツモトキヨシ、しまむらなんてところの勢いがいい。確かにあれだけの低価格でそこそこ質のいい商品を揃えていれば、売れるはずだと思う。でも、いい商品を安く売るというのは、もともとダイエーがやっていたことのはずなんです。

 創業の頃は肉を100g60円、たくあんを39円で売っていた。そのほかにはリンゴとバナナくらいしか売ってなかったんです。それがどんどん扱い品目を増やしていったのがいけなかった。特にバブルの頃にほとんどの総合スーパーが百貨店の後追いをして、店をどんどん大きくし、百貨店と同じ商品を2、3割安く売るという商売になった。それで結局、総合スーパーは「疑似百貨店」になって魅力がなくなり、客が離れていったわけです。

 今こそ総合スーパーは原点に戻らないといかんのです。カジュアルならカジュアルに絞って品揃えし、安く売る。まさしく、ユニクロやマツキヨなどの集合体としての総合スーパーに立ち返るべきだと思いますね。逆にいえば、今のユニクロやマツキヨには、バブルで肥大化する前のスーパーの姿を見るような気がします。我々スーパーが百貨店に近づこうと上に上がっていったために、下のマーケットが真空状態になった。そこに専門店が出てきて成功しているんです。

 また、今はコンビニエンスストアも急速に伸びていますが、もともと総合スーパーはコンビニエンスを追求した業態だったのです。例えば、昔は何かまとめて買い物をするとしたら大阪の梅田あたりの百貨店に出て行くしかなかった。それが、ダイエーが阪急沿線の駅前に店を出すことで、日常の買い物が格段に便利になったのです。それでも、駅前にダイエーしかなかった時代は、商品を何でも揃えて「総合」で勝負できたのですが、今は専門店やコンビニが周りにたくさんできた。そうなると便利さだけではダメで、「専門性」も必要になる。総合スーパーはそうした時代の変化への対応が遅れたというのが、苦戦の原因です。

コメント4件コメント/レビュー

2000年当時にその記事を読んだかどうかも思い出せませんが、2014年の今になっての感想ながら、やはり当時から彼は間違えていたのですね。ダイエー破綻が公になる数年前から、紙版日経新聞紙面上で(社名匿名で)大手スーパーが危ないという趣旨の記事が何度も載りました。それらの記事が載るようになる少し前、当時住んでいた地域では最も近い大型スーパーでしたが、(開店当初は通ったものの)その頃にはデパ地下で買うようになっていました。理由は、記事とは真逆の現実「地下鉄で数駅離れたデパ地下の方が、肉も魚も野菜も安い」ということを知ったためです。偶然通過したデパ地下の値段・品質を見て、愕然としたものです。バブル期には本来の安売り店ですらなく、記事にあるような『百貨店と同じ商品を2、3割安く売る』という状態ではなく、『百貨店ほどでもない商品を同額以上で』売っていました。しかも、破綻前後には球団経営を息子に継がせようと画策して失敗。世間のために始めた商売が、途中から自分のために変わってしまった典型例かと思います。悪質な労働問題を起こさなかったことでブラック呼ばわりされずに済んだという意味ではゼンショーよりマシかもしれませんが。(2014/09/03)

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いただいたコメント

2000年当時にその記事を読んだかどうかも思い出せませんが、2014年の今になっての感想ながら、やはり当時から彼は間違えていたのですね。ダイエー破綻が公になる数年前から、紙版日経新聞紙面上で(社名匿名で)大手スーパーが危ないという趣旨の記事が何度も載りました。それらの記事が載るようになる少し前、当時住んでいた地域では最も近い大型スーパーでしたが、(開店当初は通ったものの)その頃にはデパ地下で買うようになっていました。理由は、記事とは真逆の現実「地下鉄で数駅離れたデパ地下の方が、肉も魚も野菜も安い」ということを知ったためです。偶然通過したデパ地下の値段・品質を見て、愕然としたものです。バブル期には本来の安売り店ですらなく、記事にあるような『百貨店と同じ商品を2、3割安く売る』という状態ではなく、『百貨店ほどでもない商品を同額以上で』売っていました。しかも、破綻前後には球団経営を息子に継がせようと画策して失敗。世間のために始めた商売が、途中から自分のために変わってしまった典型例かと思います。悪質な労働問題を起こさなかったことでブラック呼ばわりされずに済んだという意味ではゼンショーよりマシかもしれませんが。(2014/09/03)

何故故人のインタビューが?と思ったら過去記事の紹介なのですね。創業時の「良い品をどんどん安く」という理念…そういえばダイエーにとって「良い品」ってなんだったのでしょう?記憶を呼び覚ましてみるとダイエーの失敗は「どんどん安く」だけが先行してしまい、ダイエーにとっての「良い品」の定義と、それを消費者へ分かりやすく広報することが出来ていなかったように思います。特に末期は出所不明の安物ばかりが並ぶ売り場が貧乏臭く、そこで買物するのが恥ずかしいような雰囲気が漂っていました。ダイエーの挫折は安いが正義の行き詰まりを表していたように思います。(2014/09/02)

昨日付の松下幸之助氏のインタビュー記事もそうでしたが苦境時の経験や失敗時の反省の姿勢など、現在ブラック企業と揶揄される経営者とは比べるべくもない(比べちゃあ、失礼か)真摯さを感じます。非常に勉強なります。(2014/09/02)

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