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行方不明の家族を待つ人に声をかけていいのか?

2014年10月7日(火)

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 御嶽山の噴火は、雲仙普賢岳を上回る戦後最悪の死者数となってしまった。連日繰り返される報道を見ていると、案の定、行方不明の家族側に深く入り込みすぎるマスコミが気になってしまう。これ、毎度のことではあるけれど、毎度言っておかないと、繰り返しっぷりがますます堂々としてしまうから、わざわざ毎度繰り返す。

「亡くなっている」感を強めてないか

 ニュース番組をザッピングすると、どのチャンネルも「まだ帰っていないんですよ……」と虚ろな目を泳がせる家族にズームを繰り返している。御嶽山へ登る家族を当日どのように送り出したか、最後に何を食べて出ていったか、服装はどんなだったか、マイクを向ける心持ちとしては明らかに「最後」というより「最期」が意識されていてすこぶる心地悪いのだが、案の定、ワイプを覗いてみると、涙ぐんでいるコメンテーターすらいる。

 体じゅうに積もった火山灰をはらいながら下山した人が「クルーの1人とはぐれてしまった。無事かどうか、とても心配しています」と言う。そこへ、「もう……だいぶ時間が経ってますね……」とマイクを突きつける。視聴者側も、ある程度の段階になると「おそらく亡くなっているのだろう」という頭ん中が生まれてしまうわけだけど、そういう頭ん中を見越しているからと言って、「亡くなっているのではないか」とじわじわ強めた作りをしてくるのはいただけない。

不謹慎狩りの餌食にならないために

 現場の取材陣は、それどころではない当事者に「私たちは窮状を理解している」と執拗にアピールしていく。3.11の時、親族を亡くされた方に「どんな気持ちですか?」とマイクを向けた非道なレポーターがいたが、逆に言うと「理解している」以外の振る舞いを少しでも見せた途端に、取材陣は不謹慎狩りの餌食となる。だからこそ、粗相がないように同調を繰り返す。

 厳しい現状に置かれた人とどこまで同化していけるかを追いかけることは、「不謹慎」と言われないための恰好の「逃げ」にもなっている。逃れるために踏み込む、それって相当無礼だ。

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「行方不明の家族を待つ人に声をかけていいのか?」の著者

武田 砂鉄

武田 砂鉄(たけだ・さてつ)

ライター/編集者

1982年生まれ。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。ネット、雑誌で芸能人評や文化論、音楽、時事コラムを執筆中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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