• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

シャープが考え抜いた「失敗の本質」

なぜ高橋興三社長は次のビジョンを打ち出さないのか

2014年11月27日(木)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 液晶事業への大投資が裏目に出て危機的な状態に陥ったシャープは、銀行に支えられて経営再建の途上にある。昨年6月に社長になった高橋興三(60)は、あえて強力なリーダーシップを否定することにより、再生の基盤固めをはかっている。背景にあるのは、自社の失敗への痛切な反省である。

片山の口から出た「邪魔なら言ってね」という一言

高橋興三社長(写真:菅野勝男、以下同じ)

 8月末、シャープの栄光と悲劇を背負った人物が同社を去った。2007年に社長に就任し12年に社長を退かざるを得なかった片山幹雄(56)である。9月1日付で日本電産に顧問として入り、10月1日付で副会長に就いた。シャープでは10年に竣工した大阪府堺市の巨大な液晶パネルと太陽電池の工場の建設を指揮した。08年に米国で起きたリーマンショックによる世界的な金融危機や円高の影響もあって、堺工場への約4300億円の投資が結果的に、同社を倒産寸前に引きずり込んだ。

 片山が専務から社長に昇格したのは、49歳の時である。当時、役員25人の中で最年少だった。自信家で行動力に富む片山は液晶事業に初期から携わり、同事業の拡大にまい進してきた。前任社長の町田勝彦は01年に液晶テレビをいち早く発売して「液晶のシャープ」確立に指導力を発揮し、後継者に気鋭の片山を引っ張り上げたのである。

 歴代トップの強いリーダーシップはシャープを成長させる原動力だったが、半面マイナスも大きかった。詳しくは後述するが、そうした事情が高橋を急きょ社長に押し上げた原因である。巨額の赤字にあえぐ中で常務執行役員から社長に起用された奥田隆司が昨年6月、在任わずか1年3カ月で取締役も外れ「会長」に退いた。

 代わって前年に副社長になったばかりの高橋が社長に昇格したのである。会長だった片山は「フェロー」に、町田相談役は前任社長の辻晴雄と同じ無報酬の特別顧問にそれぞれなった。辻は13年末に特別顧問を退任した。要は大物OBたちが経営に関与できない体制にしたわけである。片山は一応、技術顧問のような役割を与えられ、大阪市の西田辺にある本社を離れて天理工場(奈良県天理市)に移った。

 しかし閑職のまま、くすぶらせておいてよいのか。片山の先行を高橋は心配した。「彼は3歳下なんです。社員の気持ちもいろいろですので、シャープへの復帰は難しい。どうしたものかと悩んで、ある人を介して、(新しい仕事の口を)相談していたのです」。

 日本電産に移籍する人事が明らかになる1カ月ほど前、高橋は声をかけて片山と食事をした。「邪魔なら言ってね」という微妙な言葉が片山から出た。「そんなことはないよ」と高橋は返したが、片山を“戦犯”と見る社員もいる。間もなく逆に会食の誘いを受けて、そこで日本電産の話を聞かされた。「素晴しい会社だし、本人もやる気になっているので、『いいじゃないか』と賛成しました」と高橋は振り返る。よほどほっとしたのだろう。普段は二次会に付き合わない高橋が、片山に連れられてワインバーにはしごした。

 フェローの人事は取締役会の決議は不要だが、取締役会後の役員懇談会で社外取締役3人を含むメンバーに報告した。「実はフェローの片山が9月1日付で、社名は発表まで申し上げられませんが、違う会社に行きます。その会社とは事業上の競合関係はありません」。

コメント6件コメント/レビュー

シャープだけがヒット商品を出せないならシャープの文化のせいでしょうが、日本の電機メーカー全てが民生向け機器でヒットを出せず業績を落としているので、時代の流れとみるべきでしょう。ある程度業績の良い、三菱、日立、東芝などはテレビ事業を早期に見切って部品事業や産業事業に力を入れた会社ですからね。まあ、他の電気メーカーを見ても急に新しい成長事業が見つかるわけでもなし、今の事業を精一杯立て直しつつ次の飯の種を少しずつ育てるというものでは。(2014/11/28)

「森一夫が見た リーダーシップの源泉」のバックナンバー

一覧

「シャープが考え抜いた「失敗の本質」」の著者

森 一夫

森 一夫(もり・かずお)

ジャーナリスト

1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、特別編集委員兼論説委員を歴任。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

シャープだけがヒット商品を出せないならシャープの文化のせいでしょうが、日本の電機メーカー全てが民生向け機器でヒットを出せず業績を落としているので、時代の流れとみるべきでしょう。ある程度業績の良い、三菱、日立、東芝などはテレビ事業を早期に見切って部品事業や産業事業に力を入れた会社ですからね。まあ、他の電気メーカーを見ても急に新しい成長事業が見つかるわけでもなし、今の事業を精一杯立て直しつつ次の飯の種を少しずつ育てるというものでは。(2014/11/28)

20年以上前に、私が勤めていた会社では液晶を製造していた。当時のシャープの液晶は、技術的に他を圧倒していた。画面の美しさと、斜めから見ても綺麗に見えた。我が社の液晶は正面から45度の方向から見た時にシャープ製品との違いを見せつけられた。美しさが段違いに違っていた。それから10年ほど経った時期に仕事でシャープとのお付き合いが出来た。その時には技術レベルが「他社を圧倒」という評価ではなかったものの、社員たちの意識は高かった。多くの人達が、「我が社のXXは、他所とは全然違います。」と発言することに若干の違和感を覚えた。詳しい話を聞くと、他社のそれと殆ど同じなのだ。彼等の言う「我が社のXXは、他所とは全然違います。」はその時点での他社との比較ではなく、「10年前」を未だに彼らが変っていない前提で優越感に浸っているとしか思えなかった。多分この事がシャープの最大の欠点だと思う。思い込みを絶ち切って、再度優れた技術で他をリードする会社に脱皮して欲しい。(2014/11/28)

片山前社長の大きな経営判断ミスにより、シャープは倒産する可能性が十分にありました。もしあの時に倒産していれば、山一證券の倒産以上のインパクトを日本社会に与えていたと思います。結果的にシャープは存続することになりましたが、シャープブランドはまだ復活してはいません。シャープが一流企業としてのかつての輝きを失ったことは、現従業員やOBなど献身的に会社へ尽くしてきた方たちを大いに傷つけました。そして、その傷はまだ癒えていません。そんな中で、片山前社長だけ日本電産に逃げ出し、それを是とする高橋社長。どこにも逃げ場のないシャープの現社員はこの記事をどのような心境で読んだ事でしょう。私は、今のシャープが「失敗の本質を考え抜いた」などまだ到底思いません。会社が傾いた時、企業文化の改革が必要というレベルの話はどんな経営者でも出来ます。確かに大それたビジョンは入りません。今必要なのは、顧客をアッと言わせる「目のつけどころ」で社会に貢献する製品やサービスを創出し、シャープ製品を愛する顧客、従業員、社会、株主、融資してくれた銀行に報いるだけの結果を出すこと(事業的成功)だけだと思います。(2014/11/27)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

夢の実現にあたっては強く「念ずる」。そうした心構えを支えにビジネスの世界の荒波を渡ってきました。

後藤 忠治 セントラルスポーツ会長