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「やんちゃな若者」を鍛え、ブランドをつくる

第3回:「世界の齋藤ブラザーズ」への遥かな道

2014年12月18日(木)

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 齋藤社長が弟とセゾンファクトリーを立ち上げたのは約30年前のこと。山形の山間の町から「世界に通用する食のスーパーブランド」という大志を持ち続けてきた。2階建てのプレハブ1棟でのスタート。社員一丸となって取り組む中でたどり着いたのが、超体育会主義という考え方だった(前回の記事はこちらをご覧ください)。

 私の実家は山形県で醤油をつくっていた。父は3代目で、私は3人兄弟の長男として生まれた。次男は幼いときに亡くなり、後にセゾンファクトリーを一緒に始める9歳下の三男と育ってきた。

 よく覚えているのが、夜中のこうじ番だ。醤油を製造をする過程では米こうじが熱を持ってくるため、ときどきほぐして熱を逃がさなければならない。中学生ともなると、夜中の作業を手伝った。父の仕事といつも身近に接しており、手伝うのは当たり前だった。家業を通じて、ものづくりに対する姿勢は自然と身に付いたと思う。

自社農園も持ち、商品づくりに生かしている(写真・尾苗 清、以下同)
ガラス瓶は商品開発の大きなポイント。サイズや形に気を配る

経験したことのないおいしさが創業の原点

 大学進学にあたっては家業を継ぐことをいよいよ真剣に考え、東京農業大学農学部醸造学科に進んだ。いざ東京での学生生活をスタートしてみると、「世の中にはもっと面白いことがある」と思う日々だった。大きな出会いもあった。東京農大の小泉武夫先生との出会いだ。報道番組の「報道ステーション」に登場するなど、お茶の間にも知られている小泉先生は、今でも私やセゾンファクトリーを応援してくれる。

 順調な学生生活が続くと思われたが、ある日、事態は大きく変わった。父は連帯保証人をしていた人の事業がうまくいかなくなり、大きな債務を負わされたのだ。私が21歳のときだった。家業の危機を前に、私はすぐに山形に戻り、父と働き始めた。

 奮闘したが2年後、父は商売をたたんだ。借金が残っており、地元のしがらみがあり、破産は難しかった。全部返す以外に方法がない。しかし、どうしたらよいのか分からない──。私は進むべき道を考えた。

 あれこれ考えた末、たどりついたのがジャムの製造だ。学生時代に運動部の合宿で長野を訪問した帰りに購入したブドウのジャムはそれまで経験したことがないほどおいしかった。再スタートにあたって、私はそのときのことを思い出した。

「社員と熱狂!超体育会主義で人づくり」のバックナンバー

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「「やんちゃな若者」を鍛え、ブランドをつくる」の著者

齋藤 峰彰

齋藤 峰彰(さいとう・みねあき)

セゾンファクトリー社長

1950年山形県高畠町生まれ。89年に弟と地元で高級加工食品メーカー、セゾンファクトリーを設立。2008年社長に就任

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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後藤 忠治 セントラルスポーツ会長