日経ビジネスは2009年10月に創刊40周年を迎えます。そのカウントダウン企画として、過去の記事の中から、人気シリーズ企画「誤算の研究」を毎日掲載していきます。企業戦略の現実は理論書の通りには進みません。戦略の本質は、むしろ誤算の中に隠れています。その後の成長を確実なものにした企業あり、再編の渦に巻き込まれて消滅した企業あり、ケーススタディーの対象は様々です。記事に描かれているのは過去の出来事とはいえ、時代を超えた企業経営の指針が読み取れるはずです。
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1991年4月1日号より
新事業の象徴だったアミノ酸事業が米国でPL(製造物責任)訴訟を引き起こした。巨額の賠償請求で資金不足が懸念されるうえ、総合研究所の建設が難しくなるなど影響が拡大しつつある。
(深尾 典男)
1991年1月18日、安西一郎・昭和電工常務(当時、現昭和アルミニウム副社長)は、就任したばかりの石井宣和・大磯町長を表敬訪問したものの、門前払いされ、やるせない気持ちでいっぱいになった。昭電は21世紀をにらんだ戦略拠点として神奈川県大磯町に総合研究所建設を計画している。
騒ぎは国内にも“引火” 住民の反対で、研究所づくり暗雲
90年12月2日、大磯町長選の結果が昭電を揺さぶった。総合研究所の建設反対を訴える石井氏が選ばれたのである。
神奈川県西部に位置する大磯町。美しい海岸線で知られるこの町に、昭電が総合研究所設置を計画していることが明らかになったのは88年の暮れ。
「バイオ研究が含まれている」。建設予定地の国府新宿地区に隣接する石神台地区の主婦などが、不安にかられ、計画中止を県や町に働きかけた。当時は推進派の声が強く、89年8月には、県の土地利用調整委員会は計画推進を認めた。
委員会の決定は、環境アセスメント着手を承認しただけ。とはいえ、「住民の反対を理由に計画が中止されたことはほとんどない」(神奈川県)。計画は事実上、後戻りしないところまで進んでいた。
その風向きを変えたのが、米国発のPL訴訟。「昭電が生産した必須アミノ酸、L-トリプトファンを摂取した人が次々と発病、死者まで出ている」との情報が、地元住民の反対運動に火をつけた。薬害問題が研究所建設に関心を持っていなかった地元住民にまで不安を与えた。
17年も以前の記事だけに、随所に隔世の感を覚える箇所がありますが、当該PL訴訟を招いた健康被害の原因や訴訟の幕引きについて、どこまで語られていたのか期待しています。確か本件健康被害の原因は光学異性体(D-トリプトファン)だったように記憶していますが、事実はどうだったのか?果たして、当該製品の品質管理項目に光学異性体があったかどうか?分析方法や閾値の設定が正しかったかどうか?無かった、もしくは正しくなかった場合は、(恐らく同社の専門家からの警告はあったと思いますが)、なぜ専門家からの警告が無視されたか(あるいは警告がなかったのか)等、個人的に関心の高い分野です。(2008/10/20)