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青森発で世界企業を築く

ニッコーム日高滋社長

  • 酒井 耕一

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2008年10月21日(火)

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 青森県三沢市に本社を置くニッコーム(従業員70人)は産業用抵抗器製造を手がけ、世界各国に450社の取引先を持つ。周波数を制御する抵抗器の用途は広い。ニッコームの製品は、ハイブリッド車のブレーキ制御や、携帯電話の基地局、太陽光発電機などに使われている。英語のサイトを持ち、直接注文を受けるが、海外工場はない。すべて“青森県産”だ。

 もともとはオムロンのセンサーや磁気ヘッドの製造を中心に手がけていたが、産業用抵抗器に特化して、独自製品を開発して、グローバル化を進めた。

 この舵取りを進めたのが、日高滋社長だ。工学博士で、若い頃は大阪で勤務していた日高社長は、電子部品会社に興味を持ち、わざわざ青森県三沢市にあるニッコームに転職した。

 だが、仲間に誘われて入ったニッコームでの道のりは山あり谷ありだったようだ。


NBO 1986年に社長に就任されてから経営の舵取りを担っていますが、それまでにはいろいろな出来事があったようですね。

日高社長 私は1968年に大阪大学の博士課程を修了して、大阪の電子機器関連メーカーに勤めていました。ある日、仕事帰りに友人と飲んでいたら、三沢市の部品メーカー(ニッコーム、1966年設立)が事業強化のために経営陣を求めているという。私の仲間も経営に参画するので、行かないかという話になったのです。

 私は部品事業が好きで、部品コングロマリットみたいな会社を作りたいという思いもあった。そこで青森に行く決意を固めました。まず非常勤取締役として加わりました。

 82年当時、ニッコームには100人ほどの社員がいて、日立製作所が主要な取引先でした。たださらに発展させるとなるとビジョンが描けていなかった。

 ところが、私の仕事はあまりない。トップが引っ張っていたので、半年くらいしてから現地を離れた。でも「戻ってこい」ということで再度、現地に。

 赤字転落がきっかけで、私が86年から社長に就任して、経営を任されるようになりました。

NBO 赤字で引き継いでいち早い再建が求められたのですね。

日高社長 私は資本の充実が大切と考えて、すぐにオムロンや小野田セメントなどを対象に増資をしました。産業抵抗器の技術にそれぞれ興味を持ってくれて、3億6000万円の増資に成功したのです。これをきっかけにオムロンからの仕事が増えました。センサーや磁気ヘッドなどの製造を担当して、これが別の機械メーカーから仕事をもらうきっかけにもなりました。事業は順調でこの頃には上場を考えたこともあります。

NBO ところが好調は長く続かなかった。

日高社長 80年代後半の円高がきっかけとなり、オムロンが中国に工場を設立しました。これで仕事が激減したのです。そこで私は「産業抵抗器中心の経営に戻ること」を決めて、新たな技術開発と市場開拓に励みました。

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