「今日限りで辞めさせてください」
雇っていたスタッフ4人全員から一斉にこの言葉を聞かされた時、寄田医師は我が耳を疑った。同期の中でも最も早く開業して、わずか半年のことである。
サービス業は今や日本の中核を成す産業に成長している。しかし、彼ら従業員のすべてがES、つまり従業員満足度の高い状態で働いているとはお世辞にも言えないのが現状である。
労働時間が長くて体力的に辛い、仕事のやりがいが見いだせないと心中ため息をつく従業員。そして、長時間労働にならないような職場環境を創りたい、従業員が仕事のやりがいを見つけてほしいと願い、実際にこれと思う施策を試してみたもののうまくいかなかったと肩を落とす経営者。日本のサービス業の多くの領域で、このような状況が広がっていると想像することは全く難しいことではないだろう。
今回紹介する大阪府東大阪市の「ヨリタ歯科クリニック」は、まさにそのような状況と戦ってきた組織である。院長である寄田医師自身が、現在のサービス業が抱える問題に直面し、そこから気付きを得て、今や高い従業員満足度を達成する組織についての多くの講演を行うまでになった過程は、医療・福祉産業のみならず、幅広い業種の経営者の参考となるのではないだろうか。
どんなに辛くても患者の前では笑顔で…
「開業当初は、多くいらっしゃる患者さんばかりを見ていて、スタッフに目が行っていなかった」
寄田医師はスタッフ全員から辞めると告げられた時を振り返って言う。病院である以上、顧客である患者の満足度(CS)を高くする努力は当然あってしかるべきものだ。そして、そのCSを高めるために必要なものは、患者たちと向き合う医師とスタッフの技量と、病院の居心地の良さ(ホスピタリティー)ということも明らかである。
しかし、そこからのもう一段階の深堀りの必要性を寄田医師はこの時にうっすらと感じ取るようになる。それは、医師とスタッフが患者に対して最善の技量、ホスピタリティーを発揮するためには、彼ら自身がまずその職場環境に満足していなければならないということである。
「仕事がどんなに辛く厳しいものであっても、患者の前では笑顔でいるのが当たり前」
開業当初の寄田医師は仕事に対するスタンスをこのように考えていたと話す。しかし、辛い、厳しいと思いながら作った笑顔が長続きしないことは明らかだ。スタッフ全員の辞職という危機は、ESを高めることなしにCSを高めようとした方針の無理から生じる負荷が最大となった時に起こった事態であった。
ビジョンを掲げたら、またスタッフが辞職した
スタッフ全員の辞職という危機に瀕しながらも、その後の業務を何とか乗り切ったヨリタ歯科クリニック。しかし、多くの患者を抱え、多忙な診察の日々は変わらない。そんな時に精神的な支えとなったのが、彼の母の存在だったと寄田医師は語る。
勤務医時代から寄田医師の治療を受け喜んでくれる母は、寄田医師に自信を与え続けてくれていた。しかし、そんな母が開業して14年後に亡くなる。親の訃報に駆けつけたい気持ちはあったのだが、仕事の忙しさに結局最期に会うことは叶わなかった。
親の死に目に立ち会えないようなハードワークは、本当に大切なものなのだろうか。母の死をきっかけに、寄田医師は悩み、最終的に否、という答えを下した。大切な時に、そこに駆けつけられる病院を作りたい。
寄田医師は、その決意を胸に、その後1年間を経営や組織についての勉強に費やし、自分の理想とする病院像のビジョンを固めた。
大切な時に駆けつけられる病院にしたい、という考えや、理想的なスタッフのあり方を、現在もヨリタ歯科クリニックの原動力となっているビジョンである「感動を与え、感謝の言葉が溢れ、ワクワク楽しい病院」、「smile & communication」という言葉にまとめる。
しかし、寄田医師の掲げたビジョンに対し、スタッフの反応は意外なほどにドライであった。そんなことを言っている暇などない、ワクワク楽しい病院なんか想像できない、実現できるはずがない。結局、ヨリタ歯科クリニックでは、この時に従業員のうちの半分が辞職してしまった。
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