現存する日本最後のリヤカー専門メーカー。戦後創業し、モータリゼーションの嵐の中、親子2代にわたる下町職人の技術と根性で、21世紀の今日まで生き残った。先の見えない事業と知りながら、なぜ息子は父の跡を継ぎ、これからも守り続けようとするのか――。

荷物の集配で活躍する宅配便リヤカー(写真:村田 和聡)
リヤカーは今から100年ほど前、オートバイのサイドカーと江戸時代からあった大八車をヒントに、日本で開発された運搬用具だ。
第二次世界大戦後の復興期に需要が拡大し、東京の下町には専業メーカーが林立した。しかし、1960年代に入ると荷物運搬の主役の座を軽トラックやオート三輪に奪われ、需要は急減。隆盛を誇った工場も次々と閉鎖に追い込まれた。
そんな中、東京・南千住にあるリヤカーメーカー、ムラマツ車輌は、今も生き残っている。
今年で創業57年を迎える。年商は2億円で、在籍する従業員は職人歴20年以上の熟練工ばかり約10人。「この21世紀の時代に、職人をこんなに抱えてリヤカーなんてものをつくってるのは、日本でうちだけだと思うよ」。社長の村松孝一はこう笑う。
屋台用や花屋向けなどさまざまな分野に残存者利益

PROFILE:1948年東京生まれ。大学卒業を間近に控えた70年2月、中退してムラマツ車輛に入社。リヤカー製造に携わるほか、ホテル向けワゴンなど新分野を開拓。88年、国連工業開発機関と外務省の依頼を受けタンザニアに技術指導に赴く。95年、代表取締役に(写真:清水真帆呂 以下同)
典型的な斜陽産業にありながらムラマツ車輌が生き残っているのは、いまだに一定のリヤカー需要が日本に存在し、なおかつ、量産できるメーカーが同社しかないからだ。
例えば、宅配便向けの小型リヤカーという分野がある。
ビジネス街や商店街など車が入れない場所で宅配便の荷物を集配する際に使うもので、10年ほど前からヤマト運輸の依頼で製造を開始。2006年6月に改正道路交通法が施行され駐車違反の取り締まりが強化されると、他の宅配会社からも受注が入り、現在、月間100〜200台のペースで生産中だ。
「小回りが利き、“タイヤストッパー"や“スタンド"などいろいろ装備が必要で、保冷ケースを乗せるスペースもあって、耐久性も不可欠。台車のように簡単にはつくれない。うちの期待の成長分野だね(笑)」
そのほかにも、廃品回収や屋台用、花屋向けなど、注意しながら街を歩けばさまざまなリヤカーを目にする。それらの補修や製造、新製品開発、さらに工事用一輪車など関連製品の販売が同社の収益源だ。「残存者利益」という言葉がこれほど似合う会社もない。
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