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中国でのラーメン成功で、日本が再活性化

重光産業(熊本県熊本市)【後編】

  • 田原 真司

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2009年1月28日(水)

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 前編で「今や中国でラーメンと言えば豚骨スープ」と書いたが、より正確には「日本式ラーメン」とすべきかもしれない。言うまでもなく、中国は麺食文化の発祥の地であり、全国に数え切れないほど多様な麺料理がある。

 日本語の「ラーメン」の由来である「拉面」は、中国では小麦粉の生地を切らずに手で引っぱって伸ばした麺のこと。中でも北西部の甘粛省蘭州市の名物である「蘭州牛肉拉面」は全国的に人気があり、蘭州出身の麺職人が腕をふるう店が各地にある。

 そんな麺食大国の中国で、日本式の豚骨スープの味千ラーメンがなぜ幅広く受け入れられたのだろうか。

 結論から言えば、中国の人々にとって、日本式ラーメンはそれまでありそうでなかった新感覚の麺料理だったのである。

 中国料理のメニューでは麺は主食という位置付けで、どちらかと言えば日本人の米飯の感覚に近い。レストランでは、肉や野菜などのおかずを食べた後、締めくくりにおなかを満たすために食べるのが一般的。あるいは、小腹が空いた時などにスナック感覚でかきこむ。いずれにしても、麺料理の主役はあくまで麺であり、スープはあっさりしたシンプルな味が主流だ。汁なし麺に調味料やあんをかけて食べることも多い。

 これに対し、日本式ラーメンはどんぶり一杯でおかずと主食を兼ねる食事として完結している。味噌ラーメン、豚骨ラーメンなどスープの味でジャンル分けされることかもらわかるように、麺よりもむしろスープの存在感が大きい。チャーシューメンやネギラーメンなど、トッピングの違いによるバリエーションが豊富なのも特徴だ。中国には、このような麺料理がなかっただけでなく、昼食や夕食などしっかり食事を取りたい時、麺専門店に出かけるという習慣もなかった。

中国人の生活に定着した日本式ラーメン

 味千ラーメンは、そこに日本式ラーメンという新しいスタイルを持ち込み、定着させることに成功した。麺という中国人にとって親しみ深い食材でありながら、先行者がほとんどいない手つかずの市場を探し当てた。だからこそ、多くの中国人にあっという間に受け入れられたのだ。

 1996年に味千が1号店を開く前から、香港には日本式ラーメンの店が上陸していた。だが、それらは現地駐在の日本人相手か、たまには珍しい料理を食べたいという香港人向けの店だった。スープは関東風の醤油味か北海道風の味噌味が多く、九州風の豚骨スープのラーメン屋はなかったようだ。

 そんな中、後発で参入した味千ラーメンの1号店にはたちまち行列ができ、熊本のチェーン本部がとまどうほどの勢いで店舗数を増やしていった。今では香港だけで34店、都市別で最も多い上海には77店もある。日本式ラーメンはもはや珍しい料理ではなくなり、米国生まれのハンバーガーやフライドチキンなどと同様、中国人が家族や友人と連れだって普通に食べに出かけるメジャーなファーストフードへと進化した。

 前編で触れたように、この成功の背景には、重光産業の重光克昭社長が中国のパートナーとの間に培った深い信頼関係がある。その礎となったのは、父であり創業者である重光孝治氏(故人)のユニークな経営哲学、そして香港進出の2年前に台湾で味わった手痛い失敗の教訓だった。

 生前の孝治氏を知る人々は、「とても心のやさしい人だった」と口を揃える。戦前、故郷の台湾から15歳で単身日本に渡り、幾多の苦労と紆余曲折を経て、1968年に熊本県庁前にちっぽけなラーメン屋を開業した。孝治氏が考案した独特のスープの味が評判を呼び、店の前には毎日長い行列ができた。

 「たくさんのお客さんを外で待たせるのは申し訳ない。うちのラーメンをそんなにおいしいと思ってもらえるなら、やる気のある人にのれん分けして、もっとたくさんのお客さんに食べてもらいたい」

 そう考えた孝治氏は、当初はのれん分けの希望者にスープのレシピを無料で教え、開店後もライセンス料を要求しなかったという。その後、現在のようなフランチャイズ・チェーンに移行し、70年代の“脱サラブーム”に乗って加盟店を増やした。孝治氏は個人経営のチェーン店に配慮し、ライセンス料を意識的に低く抑えた。このことも、味千が地元最大のラーメン・チェーンに成長する下支えとなった。

「チェーン本部は赤字にならなければいい」

創業の地に立つ熊本本店 店内は地元の常連客でにぎわう

創業の地に立つ熊本本店。2002年に老朽化した店舗を建て直し、内外装を刷新した(上)。店内は地元の常連客でにぎわう(下)。(写真:白川 湧)

 「お店はお客さんのためにあり、チェーン本部はお店のためにある。利益はお店に落とし、本部は赤字にならなければそれでいい」

 孝治氏は、社内で口ぐせのようにそう語っていた。自分よりパートナー(加盟店)の利益を優先して考える経営哲学は、子供の頃から本店で手伝いをしていた息子の克昭氏にしっかりと受け継がれた。

 とはいえ現実の商売では、孝治氏の哲学は必ずしも良い結果を生むとは限らなかった。加盟店の経営はオーナーの自主性に任され、本部からはほとんど口を出さない。チェーン統一のマニュアルはなく、店側が望めばメニューの変更も認めた。外観や内装にも統一感がなく、ラーメンの味にも多少のばらつきがあった。

 自分が生み出したスープの味に自信を持っていた孝治氏は、「いつかは世界の人々に食べてもらいたい」という夢を抱いていた。克昭氏が学生の頃、父は冗談めかして「パリのシャンゼリゼ大通りに店を出せたらすごかろうなぁ」と語ったこともあったという。

 克昭氏を含む周囲は、当時はその夢が実現するとは想像もしなかった。加盟店の利益を優先する経営では、チェーン本部に資本が蓄積しない。海外はおろか熊本県外に打って出るにも、重光産業に大きな投資をする余力はなかったからだ。

 やがて、熊本県内の店舗は飽和に近づいた。一方、豚骨スープが主流ではない九州以外では加盟店が増えない。味千ラーメンは成長の壁に突き当たった。それでも、80年代後半のバブル景気までは順調だった。しかしバブル崩壊後は、長引く不況で経営難に陥る加盟店も出てきた。

 そんな中、孝治氏は親戚筋から持ち込まれた台湾への出店計画に乗った。故郷に錦を飾るとともに、国内の閉塞を打破するため海外に活路を求めたのかもしれない。こうして94年、記念すべき海外1号店が台北市に開業した。

 しかし、父について現地パートナーとの交渉に同席していた克昭氏は、心のどこかで危うさを感じていたという。

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