(前編から読む)
再び、天津で日本酒好きの駐在員が通うこだわりの和食店「古狸庵」。オーナー・シェフ、古江進二郎さんが腕をふるうその日のおまかせ料理に舌鼓を打ちつつ、辛口や甘口、大吟醸や生酒など、いろいろな味わいの日本酒を試してみたくなる。
ここ数年、中国の和食店でも日本から直輸入した地酒を出す店が増えている。だが、たいていは「越乃寒梅」や「久保田」など著名蔵元の高級品が中心で、銘柄の選択肢は少ない。
「何か珍しい、おすすめのお酒はありませんか」――。
そうお客さんに聞かれた時、古江シェフが奥の冷蔵庫から持ち出してくるとっておきの一升瓶がある。中谷酒造が日本で醸造し、中国に輸出している純米吟醸酒「奈良吟」である。
現地醸造に加え、日本から自慢の逸品を輸出
奈良吟は、中谷酒造が地元奈良の農家と契約して減農薬栽培した酒造好適米「山田錦」を原料に、品評会用の特別な酵母を使って醸した限定品。同社の中谷正人社長が自ら田植えと稲刈りに加わり、原料米の生産から醸造まで一貫してこだわった自慢の逸品である。
口に含んだ瞬間、甘口で個性のある味わいがいっぱいに広がる。ところが、その後は水のようにすっと喉を通り抜けて、後味が残らない。
「著名蔵元のお酒と並べて出すと、勝るとも劣らない奈良吟のおいしさに驚くお客さんが少なくない。お酒に強くない女性にも好評です」と、古江シェフは話す。
かつて、中谷酒造は酒造りを外部の杜氏に任せていた(前編参照)。しかし現在は、中国で造る「朝香」も、日本で造る「萬穣」や「奈良吟」も、杜氏に頼らず中谷社長が自ら采配を振って醸している。
「純米酒らしいふくらみのある味わいと、料理の邪魔にならないキレのよさを両立させたい」。酒造りへのこだわりを語り出すと、中谷社長の話は止まらない。
天津での朝香の醸造は、気温が下がり酒造りに適した10月から翌年5月にかけて行う。生産工程を細かく数値化、マニュアル化することで、仕込み作業そのものは中国人従業員に任せている。醪の温度、糖度、酸度、色合いなど、発酵状態を示すデータは日本の中谷社長に電子メールで毎日送られ、必要があれば直ちに調整の指示を出す。
天津の和食店「古狸庵」で、自慢の「奈良吟」を手に持つ中谷正人社長(右)。左はオーナー・シェフの古江進二郎さん。
さらに、中谷社長は毎月天津に出張し、17基ある仕込みタンクの発酵状態を自らの五感ですべてチェックしている。味わいを均一にするためのブレンドも、何番タンクと何番タンクの原酒をどんな比率で混合するか、中谷社長がデータを見ながら電卓をたたいて決めている。
こうして醸された朝香は、そのほとんどが中国全土の日本料理店に出荷されている。実は、日本で醸造した奈良吟も、大部分を中国に輸出している。朝香を長年納めてきた得意先から、「値段が高くてもいいから、日本産の高級酒も持ってきて欲しい」という要望が増えているためだ。
中国市場が支える、こだわりの酒造り
厳しさを増す日本の不況と清酒離れのなか、従業員5人のちっぽけな蔵元である中谷酒造が生き残り、コストをかけたこだわりの日本酒を造り続けるために、中国はもはや欠かせない市場になっている。
だが、前編で紹介したように、中谷社長はもともと家業の蔵元を継ぐつもりはなかった。1995年に天津に進出した際も、当初は中国産のジャポニカ米をぜいたくに使って高品質の純米酒を造り、日本や米国、東南アジアに輸出する事業プランを描いていた。
ところが14年後の今日、中谷酒造は中国市場をメーンに、中谷社長が中国と日本の両地でこだわりの酒造りに挑むユニークな蔵元となった。
この間、中谷社長の心境に一体どんな変化が起きたのだろうか。当初の事業プランを大きく見直すきっかけになったのは、天津進出の翌年の96年、同社を倒産寸前にまで追い詰めた経営危機だった。
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